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天皇暗殺を企てて死刑となった女性【背筋も凍る!女の事件簿】

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画像はイメージです

 「背筋も凍る!女の事件簿」ではこれまで数回にわたり、主に戦後の女性死刑囚を紹介してきたが、今回紹介するのは近代日本の歴史上唯一の「大逆罪(天皇、皇后、皇太子などに危害を加えること)」により死刑になった女性・管野スガ(かんのすが)についてご紹介しよう。

 管野スガは1881(明治14)年に大阪で生まれた。男勝りな性格な一方、文学に対し強い興味があり当時、力を持っていた文士に弟子入りし、その後新聞記者になった。
 女性の置かれている現状に疑問を唱え、最初は男女同権運動に参加していた管野は次第に社会運動にも積極に関わることとなり、社会運動家の荒畑寒村と結婚。新聞記者として、社会運動家として、そして妻として精力的に活動を行おうとした矢先に結核に感染。

 翌年には弾圧により夫の荒畑寒村と共に投獄され、出所後、新聞記者としての職も失った管野は、当時の社会主義者のリーダー格とされていた幸徳秋水の資金援助を受け、次第に同棲することになった。
 以来、管野は幸徳のパートナーとして行動を共にするようになり、次第に幸徳ほか3名が打ち立てた「明治天皇暗殺計画」に関与していくことになる。

 この暗殺計画は爆弾を使ったもので、長野県のある村で爆弾を製造。何度かの爆破実験を行った後に実行に移そうとしていた。

 この時、幸徳と管野は湯河原で執筆活動をしていたが、長野警察署が明治天皇暗殺のための爆弾製造が行われていることを察知しており、2人は「大逆罪」の実行犯として逮捕されたのだ。
 大逆罪は大日本帝国憲法においては最も重い罪とされ、計画段階だけでも死刑となる重い罪であった。結果、24名が逮捕され、幸徳と管野を含む12名が死刑となった(残り12名は特赦となり無期懲役もしくは後日釈放された)。
 
 女性である管野は幸徳に巻き込まれた、と当初は考えられたが、社会運動に関わっていた過去や既に逮捕されている荒畑の妻ということもあり、首謀者のひとりとして数日遅れて処刑された。
 大逆罪は既にない罪のため、管野は日本の歴史上、唯一の「大逆罪で死刑になった女性」となった。
文:穂積昭雪(山口敏太郎事務所)

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