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「時代」を彩った男と女・あの人は今 元メジャーリーガーマック鈴木

 マック鈴木(鈴木誠)は、日本でのプロ野球を経験せずにメジャーリーグ入りを目指した初の選手。そして村上雅則(元南海)、野茂英雄(元近鉄)に次いで日本人で3人目のメジャーリーガーだ。

 鈴木は、兵庫県の滝川二高在学中に校内でトラブルを起こし中退。その後、知人の紹介で現楽天の野村克也監督の継子・団野村から「米国への野球留学を勧められ、渡米した」という。
 92年、渡米した鈴木は団野村が関与していたチーム「サリナス」に練習生として参加。93年にはマリナーズと契約し、傘下の1A、2Aを経験。力をつけていった。そして95年にマリナーズに昇格したが、登板はなく3Aに降格。96年7月7日に日本人3人目のメジャーリーガーとなると、98年にマリナーズに再昇格して初勝利を挙げ、1勝2敗でシーズンを終えた。99年6月にメッツにトレード後、すぐにロイヤルズに移籍した。00年には先発投手として8勝をマーク。翌年6月にはロッキーズに移籍したが、1カ月もしないうちにブリュワーズに移り、02年にはロイヤルズに復帰したが、1勝もできずに解雇された。
 02年に帰国し、その年のドラフトでオリックスに入団。03年から05年まで在籍したが、全く首脳陣の期待に応えられず、05年のオフに戦力外通告を受けて退団、再び渡米した。06年4月にはメキシカンリーグでオールスターに選ばれたが、シーズンでは思ったほどの成績が残せず、再びシカゴ・カブスの3Aに。そして台湾球界へと渡った。

 再び帰国して07年に楽天の入団テストを受けたが、野村監督にヒゲなどの身だしなみで注意を受けて不合格となった。08年にはベネズエラ、メキシコ、米国などのウインターリーグや独立リーグで活躍。09年もドミニカや米国の独立リーグでプレーしている。
 「野球ができるところならどこでもいい」と、鈴木は世界各地の独立リーグなどで好きな野球を楽しんでいる。


 日本人初のメジャーリーガーとなった村上雅則は、法政二高時代の60年夏と61年春の甲子園で優勝、夏春連覇を成し遂げた。その活躍が南海監督の鶴岡一人の目に止まった。62年、高校在学のまま南海と契約。プロ2年目の64年に大リーグのサンフランシスコ・ジャイアンツの1Aに野球留学として派遣されたが、南海からの帰還要請がなく、そのままチームに在籍した。
 64年当時、南海はジョー・スタンカ、杉浦忠という2本柱の投手と野村克也、広瀬叔功の強打者がいて、日本一になるなど戦力は充実しており、補充の必要がなかったのだろう。
 村上のメジャー昇格は突然だった。同年8月31日にニューヨーク行きを命じられ、翌9月1日のメッツ戦で日本人初のメジャー登板を果たした。そして、9月29日にコルト45S(現・アストロズ)戦の9回同点で登板、11回まで無失点に抑え、11回にチームがサヨナラ勝ちをしたため、初の日本人メジャー勝利投手となった。

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