焦点となったのは、立ち合いから30秒ほど経った勝負の終盤。左下手でまわしを引いていた高安の下手投げにより千代の国は大きくグラついたが、精一杯の股割でこれを食い止め、その後、投げの打ち合いを制して、小手投げで高安に土をつけた。
この日が28歳の誕生日でもあった千代の国。その奮闘ぶりは会場の観客を大いに沸かせており、日本相撲協会が来場者及びに公式サイト・アプリの有料会員向けに実施している「敢闘精神あふれる力士」アンケートでも1位を獲得している。
もちろん、今回の千代の国の取組は褒められてしかるべき相撲内容であったことは間違いない。しかし、ここで取り上げたいのは、千代の国が見せた執念ではなく、高安が見せた甘さである。
この日NHK大相撲中継で解説を務めた芝田山親方(元横綱大乃国)は、前述した高安の下手投げを「中途半端な下手投げ」と評している。千代の国を仕留めきれなかったのは、技の精度が低かったことによるものということだろう。
加えて、高安は下手投げを繰り出した後、そのまま千代の国から目線を外し棒立ちになってもいる。恐らく、心の中では「勝負あり」と思っていたのだろう。しかし、目線を外さなければ、その先に映る千代の国や軍配を上げない行司の姿から、その“セルフジャッジ”は間違いであると気付けていたはず。詰めが甘すぎたと言わざるを得ない。
そもそも、今回の取組でペースを握っていたのは千代の国の方で、高安は何度か半身の体勢になるなど後手に回っている。体格差があったことで何とか攻め自体は凌いでいたが、巨体に頼った相撲がその後の甘さを生んだという見方もできるだろう。
力士が持つべき“心技体”の内、“心”と“技”を自らの甘さで見失った今回の高安。この取組を反面教師とし、更なる精進に励んで行くことを大いに期待したい。
文 / 柴田雅人