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アントニオ猪木の失神KO敗戦という衝撃的結末となった1983年の第1回IWGPリーグ決勝戦。
今では「失神は猪木個人で仕組んだフェイク」というのが通説とされ、さまざまな推測がなされてきた。そうした中で、これまであまり取り上げられてこなかった、しかし、真相に近い裏事情があったのだという。
「猪木はあそこでホーガンに勝ちを譲ることで、新日本プロレスのエースに据えようという考えだったのです」(新日関係者)
この当時、40歳を迎えた猪木は選手としてのピークをすぎ、重度の糖尿病など体調面の不安も抱えていた。また、自身の手掛けたアントン・ハイセル事業などの不調から、ビジネスに注力したいとの思いもあった。そのため、タイガーマスク人気で新日が好調な今こそ、後継者づくりのチャンスと考えたわけである。
キャリアからすれば藤波辰爾や長州力がその最右翼ではあったが、ライバル団体である全日本プロレスの次期エース・ジャンボ鶴田と比較した際、体格面で引けを取りスケール感で劣る。
そこに登場したのが海外武者修行帰りの前田日明だったが、まだエースとするには実績も知名度も伴っていない。そこで、一時的な“つなぎのエース”として、ホーガンを抜擢しようと目論んでいたのだ。
「この時期のホーガンはアメリカではWWF(現WWE)を離脱し、AWAに参戦していたものの、決してトップの扱いではなかった。そこに新日が目をつけて、すでに前年12月のMSGタッグリーグ戦では猪木&ホーガン組が出場して優勝するなど、エース禅譲への道筋はつけられていた。入場時の一番ポーズやその関連グッズなども、日本におけるホーガン人気を定着させるために、新日側が主体となってプロデュースしたものです」(同)
結果的には出演映画『ロッキー3』の公開以降にアメリカで人気が爆発し、ホーガンも古巣のWWFに戻ることになったが、その後の人気ぶりからも新日側の狙いは決して間違ってはいなかったと言えよう。
★全日では鶴田の育成が役どころ
さて、前置きが長くなったが、新日においては外国人エースはなじみがなかったものの、他団体では以前から存在していた。その代表格が’68年から’69年にかけて、国際プロレスのエースの座を担ったビル・ロビンソンである。
力道山の死後、’66年に日本プロレスから離れた当初は、所属選手を抱えずシリーズごとに選手を招聘していた国際プロだが、’67年後半にTBSの後援を得て団体の形式になると、エースの座には新人のグレート草津が抜擢された。
しかし、草津は初のTBS系列による全国放送が実施された試合で、ルー・テーズに惨敗。サンダー杉山や豊登らベテラン勢も振るわず、日プロから大木金太郎を引き抜く計画も失敗してしまう。
そんなところへ初来日となったロビンソンは、未知の必殺技だったダブルアーム・スープレックスで注目を浴びると、2度目の来日時にはIWAワールドシリーズに優勝して初代IWA王者に認定される。以後も継続参戦して王座防衛を重ね、その防衛回数は28回にも及んだ。
外国人エースが外国人を迎え撃ってメインイベントを務めるなどは、日本ではまったく初の試みであったが、これを成立させたのはひとえに、ロビンソンの卓越したテクニックによるものであった。また、この時期のロビンソンはリング外でもトレーナーとして、まだ若手だったアニマル浜口やマイティ井上らを指導している。
’70年以降はアメリカに主戦場を移したものの、ロビンソンの国際プロへの参戦は続き、’74年の蔵前国技館大会でもバーン・ガニアのAWA王座に挑戦するかたちで、やはり外国人対決によるメインイベントを実現させている。
’76年から参戦した全日では、ジャイアント馬場が絶対的エースだったため、ロビンソンは鶴田のライバル役としてポジションを与えられた。当時の全日において鶴田の育成は最大の課題であり、ロビンソンはその指導者に見込まれたわけである。
日本人のヒーローが外国人の悪役を倒すというのが定番であった日本のプロレス界において、正統派外国人として長く第一線で活躍を続けたロビンソンは、まったくもって希少な存在であった。
「結局、アメリカで主要タイトルを取れなかったロビンソンですが、これは“正統派の外国人”という側面が大きい。関係者からの評価は高かったものの、アメリカの一般大衆からすると、英国紳士然としたロビンソンは、どこか気取っているふうに見えて、大きな人気は得られなかった」(プロレスライター)
そんなロビンソンを早くから受け入れてきた日本のプロレスファンは、世界基準から見ても相当意識が高かったと言えようか。
ビル・ロビンソン
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PROFILE●1938年9月18日〜2014年2月27日、イギリス・マンチェスター出身。
身長185㎝、体重113㎏。得意技/ダブルアーム・スープレックス、ワンハンド・バックブリーカー。
文・脇本深八(元スポーツ紙記者)