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スポーツ 2009年04月20日 15時00分
野球 オリックス・フェルナンデスが古巣に“恩返し”
オリックスが誇る“外国人カルテット”が本領を発揮。今季から新加入のフェルナンデスが古巣相手に大暴れした。 この日、カブレラ、ローズ、ラロッカ、フェルナンデスの4人で10安打、4ホームラン、8打点と荒稼ぎ。相手の戦意を一瞬にして奪い去った。 特にフェルナンデスは1本塁打を含む4安打、3打点と強烈なしっぺ返しを食らわせた。2006年には楽天に移籍し中軸打者として活躍したものの、失策の多さから構想外となった。 活躍の場を求め、新天地に選んだのはオリックス。前日まで打率は1割8分8厘、スタメンからも外されていたが、古巣相手に奮起。“借り”を返し「そりゃあ気分いいよ」。開幕からここまで不振だった眠れる大砲が反撃ののろしをあげた。
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スポーツ 2009年04月20日 15時00分
フィギュアスケート 真央「五輪はパーフェクトに」
フィギュアスケートの「国別対抗戦」に出場した浅田真央と安藤美姫が19日、東京・代々木第1体育館でエキシビジョンに登場。浅田が五輪本番に意気込み。安藤は奥の手を明かした。 6カ国対抗の団体戦で日本は3位に終わったが、浅田は自己ベストを上回る201.87のパーソナルベストを出した。エキシビションでは「仮面舞踏会」をタンゴのリズムに乗って、優雅な演技で踊りきり、「いまはすごく達成感がある。五輪ではミスしないでパーフェクトにやるのが目標」と誓いを立てた。 一方、安藤はエキシビションで親交のある歌手・絢香の「I believe」を熱演した。今大会のフリーでは4回転サルコウに失敗してしたが、五輪本番に向け「4回転のトーループとループをちょっとずつやっている」と、秘策を練っていることを明かした。
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スポーツ 2009年04月20日 15時00分
王と長嶋〜プロ野球を国民的スポーツにした2人の功労者〜〈21〉王が長嶋を超えられない不文律
世界の王のビッグ1に対し、栄光の背番号3のミスター・ジャイアンツ。が、巨人軍の格付けは、ナンバーワンの長嶋茂雄に対し、ナンバー2の王貞治。この序列は変わらなかった。「記録の王に記憶の長嶋」とも呼ばれた。記録では圧倒的に世界の王が上位だが、ミスター・ジャイアンツには記録だけでは評価できない、ファンに鮮烈な記憶を残すプレーをする。そういう意味だ。客商売のプロ野球だから、当然ミスターの方が上位にランクされるというのが巨人軍の考え方だ。 「長嶋は巨人軍の長男、王の方は次男坊」という位置づけもある。長嶋さんの方がプロ入りが1年先。大学出(立大)と高校出(早実)だから、年齢は4歳違う。長男・長嶋、次男・王というのは、当たっているようにも思える。が、プロ野球というのは実力の世界だ。年齢も学歴も関係ない。結果を出した者が勝ちのはずだ。「野球は本来記録がすべてでしょう」。世界の王がこう強調する裏には、現役時代、常にナンバー2扱いされたことに対する不満がうかがえる。 「ONボール」という伝説がある。「本当はストライクなのに、ONが見逃したのだから、ボールだろうと審判が判定する。実際にONボールは存在した」。ONと激突した当時の各球団のエースたちは口をそろえる。 「だって、柴田や土井たちが『ONボールのあおりをくって、おれたちの時に帳尻合わせをやられている。ボールをストライクと言われるのだから、たまらないよ』と嘆いていたんだからね」と、巨人軍内部の楽屋裏話を暴露する。 当時の審判たちはこう反論する。「ONボールというのは、マスコミが勝手に作った用語です。われわれに言わせれば、むしろONストライクです。ONという偉大な打者が立ったときには、ほかの打者の時よりも無意識のうちにジッとストライク、ボールを見極めよとして、ONに辛い判定になることがあった。いってみれば、ONストライクです」 ONストライクも新説で興味深い。しかし、現実的にはONボールは伝説となって今でも語り継がれている。その呼び方になんと世界の王は異議を唱える。「オレは審判よりも選球眼が良いと自信を持っている。オレが見逃したらストライクではなく、絶対にボールだと確信を持って言える。だけど、ミスターはそんな選球眼を持っていたかい?」と、一緒にされるのを迷惑がるのだ。 敬遠のボールに飛びついて打つ。本来のストライクゾーンと関係なく自分が打てる範囲はストライクという、独自の長嶋ストライクが存在する。そういう伝説のある長嶋さんと同じ選球眼扱いされ、ONボールと呼ばれるのは、心外だという王さんの本音が思わずこぼれ出たといえる。 なんでも簡単にONという2語で片づけてほしくない。技術面では絶対に長嶋さんに負けていないという、王さんの譲れない強いプライドが感じられる。 「長嶋さんはライバルというより、追いつき、追い越せの目標だった。なにしろオレがプロ入りした時は、すでに新人で本塁打王、打点王の2冠王の成績を残していたんだからね。遠い存在だった」 そういう遠い存在だった長嶋さんを、血のにじむような猛練習、努力で完成させた一本足打法で射程距離にとらえ、ついにはONと並び称されるようになった。そして、王さん本人は長嶋さん超えを確信したのに、球団側には「長嶋がナンバーワン、王はナンバー2。年俸で王が長嶋を超えることはない」という、超えられない不文律があった。王さんがONボールの呼称に異議を唱えるのもわかるような気がする。
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スポーツ 2009年04月20日 15時00分
戦極 吉田秀彦8月復帰に意欲
戦極年明け興行以後、リングから遠ざかっている吉田秀彦が19日、埼玉県内の吉田道場で、恒例の柔道教室を開催した。吉田は8月にリング復帰する意向を示した。 1・4「戦国の乱」の菊田早苗戦で判定負けを喫し、引退がささやかれた吉田。引退説を否定し今夏を目途に復帰戦を行う意向を示していたが、この日は戦極の國保尊弘代表から8・2「戦極〜第9陣〜」(さいたまスーパーアリーナ)で復帰することを薦められたことについて「じゃあ頑張らなきゃ」と8月復帰に意欲をみせた。 正式決定ではないが、次戦は再起を図る重要な一戦となる。吉田は対戦相手にも言及し「対戦したい選手はいない。でも菊田とはもう1回やらないと。悔しかったから」とリベンジマッチを要求。「気合入れて頑張ります」と闘志をたぎらせていた。 なお、この日は自身の柔道教室「第32回VIVA JUDO!」を同道場で行ない、30人の親子が参加。子供よりも元気いっぱいの母親らに、「お母さんすっごいなぁ」と圧倒されていた。
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レジャー 2009年04月20日 15時00分
フローラS(JpnII、東京芝2000メートル、26日)田村厩舎&内田騎手 ディアジーナで2連覇だ
2連勝でクイーンCを優勝し、待望の初重賞制覇を飾ったディアジーナ。次の目標は当然、桜花賞と誰もが思ったが、意外や意外…田村調教師はオークス一本に照準を絞って調整することを言明した。 その発言を裏付けるかのように、次走は1800メートルのフラワーC(2着)を選択。結果は、伏兵ヴィーヴァヴォドカの逃げ切りを許してしまったが、あくまで本番をにらむ陣営は、しっかりとステップを踏めたと解釈している。 ケイコ役の町田助手は、「内田(騎手)さんが大事に乗ったのは、あくまでもオークスを見据えた競馬をしたからでしょう。これから距離を延ばしていこうとしているときに、(スピード任せの)千六の競馬はできませんからね」とレースを読み解いて見せた。デビュー以来、マンツーマンで仕上げに携わってきた職人の言葉には重みが感じられる。 もっとも、「勝った馬は、グリーンベルトを上手に走ってきたからね。あれが、東京コースなら捕まえられたと思いますよ」とホンネもチラリ。とはいえ、3着マジックシアターは2馬身2分の1突き放しており、内容は負けて強しだった。 攻守ところをかえて、今度はクイーンCを勝った相性のいい東京コースが舞台。「東京ならじっくり構えて乗れるし、競馬はしやすい」と巻き返しに自信をのぞかせた。 注目の1週前追い切り(16日)は、南ポりトラックでエアラスティング(3歳500万)を5Fから1秒追いかけてスタート。65秒3→50秒5→37秒2→11秒9を楽々とマーク(併入)する豪快なデモンストレーションを披露。TRといえども、抜かりのない仕上がりをアピールしている。 「課題ですか? とくにないですよ(笑)。素直な気性で乗り役の意のままに動けますからね。いい形でオークスに向かいたい」と町田助手。昨年、レッドアゲートでここを制した田村厩舎&内田騎手のゴールデンコンビが、磐石の態勢で連覇に挑む。
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レジャー 2009年04月20日 15時00分
皐月賞(JpnI、中山芝2000メートル、19日)3強対決はアンライバルドに軍配
牡馬3冠の第一関門「第69回皐月賞」(JpnI、芝2000メートル)は、19日の中山メーンで行われ、直戦入口で先頭に立った岩田騎手騎乗のアンライバルド(牡3歳、栗東・友道厩舎)が、2着トライアンフマーチに1馬身2分の1差をつけて優勝。父ネオユニヴァース(2003年優勝)に続き、史上6頭目の親子制覇を達成した。勝ちタイムは1分58秒7(良)だった。 断然人気を集めた関東馬のロジユニヴァースは、まさかの14着と屈辱的な大惨敗を喫した。西高東低といわれて久しいが、それを象徴するように関西馬が上位6着までを独占。関東の厩舎人のプライドはズタズタにされたといっていい。関東馬が復権を果たす日は、いったいいつのことになるのだろう。 それにしても、次元の違う強さだった。岩田騎手は、「4角手前でゴーサインを出したら、(前の集団を)まとめて交わしたので、そこで勝利を確信しました。今までできょうがが一番強い競馬でしたね」と会心のレースを振り返り、全身で喜びを爆発させた。 一方、スタンドでレースを見守った友道調教師も、ディープインパクト級の愛馬の脚力に鳥肌を立てた。「乗っている人間(岩田騎手)もすごいと感じたようですが、見ていてもものすごいと感じました」と最高の笑顔を振りまいた。 さあ、次に狙うは2冠制覇だ。友道師は、「課題だった折り合い難もクリアできたし、とくに注文を付けるところはないですね。使うたびに強くなっていることを実感しています。距離は延びた方がいいし、ダービーが楽しみです」と確かな手応えをつかんだ様子だった。 父、兄(フサイチコンコルド)に続くダービー制覇に向けて、皐月賞は序章に過ぎない。
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社会 2009年04月20日 15時00分
経済偉人伝 早川徳次(シャープ創業者)(32)
従兄・洋次郎の話では、徳次の父・政吉は2度結婚して2度とも妻に死に別れた後は、再婚せずに長男・彦太郎と長女・静子の1男1女を男手一つで育てた。政吉が40歳を過ぎたころ、彦太郎は母方の里の家を継ぐために、静子は建設技師との縁談のために、それぞれ早川家を離れ、政吉は正真正銘のひとり身になった。そこへ実家に戻った花との再婚話が持ち上がる。 「最初、叔父さんは断ったらしい。だけど、藤谷家では叔父さんの人柄もわかっているから、ぜひ頼むというわけで再婚の運びとなった。そして2人は3人の子供にも恵まれた。登鯉子さん、政治さん、そして徳次さん、お前さんだよ」 徳次は自分がなぜ、養子に出されたのか、ずっと聞きたかったことを洋次郎に尋ねてみた。 「日清戦役が始まったころから叔母さんは兵隊用のシャツ製造を始めた。陸軍省からの注文だから断れないし、戦時中なので眠る時間もないほど忙しかった。あまりの忙しさに、もともと体が丈夫ではなかった叔母さんは胸をやられて倒れた。叔父さんも感染して寝込んでしまったんだ」 花が発病する前から、家の忙しさと花の病弱との理由から末っ子の徳次を当分の間、里子として預けることになった。ミシン掛けの仕事をしていた熊八の妻は気心が知れていたし、熊八との間に子供がいなかったので熊八夫妻が里親に選ばれた。育てている間に熊八夫婦はだんだん徳次がかわいくなってきて、あらためて正式に養子にもらい受けたいと申し出た。 花はずっと床についたままで、いつ回復するかもわからない。ミシンの仕事も終戦の影響と花の長患いのために思わしくない時期だったので、政吉と花は承諾することにした。熊八夫婦が徳次をかわいがっていることもわかっていたからだ。 「実の子のように立派に育てますから、そちらは生みの親であることを絶対に秘密にしてください」「将来生みの親と言って出たりしないから、どうかかわいがって育ててください」こんな話合いがなされ、徳次は早川家から出野の籍に移された。
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トレンド 2009年04月20日 15時00分
高橋四丁目の居酒屋万歩計(3)「ウサヤ」(居酒屋)
小田急線・京王井の頭線、下北沢駅から徒歩160歩 浮世に咲いた、一輪の徒花(あだばな)として、ご紹介申し上げたい。 2009年、葉桜の候。どうやら地域住民の反対運動も沈静化し、小田急電鉄が勝ちをおさめたもようである。下北沢駅を地下にもぐらせる大型路線工事と、それにともなう駅前周辺の調整が着々と進んでいる。しかるべき将来、この店も立ち退くことになる。それは開業するにあたって、前提になっているはずだ。「やれるところまでやるだけです」と、店主。 街の史料として、どこかに保存されているはずだが、下北沢駅にはヒトラー・ユルゲント(少年団)が下車している。そのときのスナップを路上写真展で見たことがある。日独伊三国同盟が結ばれたころのことだろう。 ヒトラーは日本の回覧板制度がいたく気に入っていた。上意下達の方法として、このアイデアは緻密(ちみつ)さと責任の所在の明確さにおいて抜群の発想であり、いままで知らなかったことが悔やまれる、もうチと早く同盟を結べばよかったと一緒に自殺した愛人に語ったことが、記録されているわけはないのであるが、ま、ともあれいたく気に入っていた。こんな見事な制度を思いつく日本に学び、国民統制のアイデアを貪欲(どんよく)に吸収してきてほしいという願いから、ドイツの少年たちははるばる派遣されてきたのだった。 当時、下北沢に学ぶべきなにがあったのか不勉強にして知らないが、区内に今も残る錬兵場跡や陸軍病院跡に関係しているか、下北沢がむかしも若者の街であったなら、若い衆同士の交流をはかったのかもしれない。 「ウサヤ」は木造の二階家である。いまや粗製濫造気味の昭和レトロ酒場に違いはないのだけれど、肩をもちたくなるような工夫がされてある。この家は映画のセットそのものを移築した。竹中直人主演の「男はソレを我慢できない」(信藤三雄監督)がそれ。階段の急勾配(こうばい)に恐れをなすかもしれないが、ぜひとも2階をのぞいてほしいもの。映画美術でヨゴシといわれる、経年を装う仕事が窓ガラスに施されている。カラカラと引けば、そこに見えるのは戦後のどさくさ。どさくさでここに住み付いたかたがたによって、ここ下北市場は始まって現在に至る。 季節の、いまは早春なのでふきのとうが、たけのこが、主人の趣味で蒐集(しゅうしゅう)された骨董(こっとう)に盛って供せられる。置かれる卓はといえば、これもどこぞの庫(くら)で見つけてきたものなのか、5寸ほどの高さ(低さ)の古木の佳品。春野菜のこの苦味を、あと何回味わえるかはわからない。徒花のゆえんである。予算2300円東京都世田谷区北沢2-24-14
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トレンド 2009年04月20日 15時00分
高橋四丁目の居酒屋万歩計(2)「美寿津」(みすづ、蕎麦屋 )
JR・東京メトロ銀座線、新橋駅から徒歩140歩 会社員というものは、数日前の晦日(みそか)に「よいお年を」などという舌をかみそうな台詞(せりふ)で別れたばかりなのに、新年を迎えれば「ことしもよろしく」などと、いっそう面はゆい台詞で顔を合わせ、昼は蕎麦(そば)でもと手繰りに行くと、美寿津からはご丁寧に年賀の手ぬぐいを賜るのだった。お年賀は、それはいわずもがなの楽しみであって、身内だけでは今ひとつ祝祭性に欠ける新春を寿(ことほ)いでくれた。 昼時を避けて、恵比寿麦酒のグリーンラベルをくぴくぴ飲みながらまごまごしていると、盛りは一人前か1.5人前か、どちらなのかと問われた。う、う、そうであった。ここは蒸篭(せいろ)2枚で一人前、したがって1.5人前というのは3枚重ねでやってくる。 すっかり失念しておりました。そういえば蕎麦焼酎の蕎麦湯割りは、ここで覚えたものでした。白濁したほどよい緩さの蕎麦湯割が、寿司(すし)屋用の大ぶりの茶わんで供されるのがうれしかったものです。ただ戸の建てつけが悪くて苦労させられた。下がかならず半寸空くから冬の間中、入り口付近には誰も座ろうとはしなかった。 今日は09年4月6日の春たけなわ。盛りを手繰ったら都営浅草線で押上を目指す。目標はふたつ。隅田川墨堤の桜と、東京スカイツリーの土台見学だ。ツリーは工事開始から267日を迎えた本日早朝、塔本体の鉄骨が据えつけられた。09年の6月に50メートル、12月には200メートルに達し、11年末に完成する。高さは東京タワーの1.8倍、610メートル。開業は12年春から。日本一の高さとなる第2展望台は地上450メートルからの眺望となる。高いところ好きとしては、体調を整えてお待ちしたい。ところが土台が、これが見当たらない。現場には塀が回されているから当たり前か。 諦(あきらめ)て、墨堤へ 現在の隅田川公園は、水戸徳川家小梅邸と呼ばれていた水戸家の下屋敷。明治8(1875)年に、ここで明治天皇主宰の花見の宴がひらかれたとある。邸内には池あり、小山あり、神社あり。この神社が丑(うし)年の今年、御利益のある撫(な)で牛(石)を飼っていることで話題となった牛嶋神社。境内前で宴(うたげ)をしていたら、地元の世話ずきな大年寄りから、遠方よりはるばるきた物好きな中年寄りへ、差し入れが届けられた。懐かしんで浅草六区の映画館をたちどころに、いつつむっつ挙げた。公園が毎朝の散歩道だという。そのぼくが誓って、今日が満開の天辺だという。スカイツリーはどの方角になるか訊(たず)ねてみた。アッチ、と指差すかたは西南西。目をやれば淡い水彩の青空に、刷いたようなソメイヨシノが揺れていた。大年寄りさま、地上450メートルからの眺望を見る気満々。予算1400円港区新橋2-9-13
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トレンド 2009年04月20日 15時00分
高橋四丁目の居酒屋万歩計(1)「赤垣屋」(あかがきや、立ち飲み)
JR東京駅丸の内南口から徒歩160歩 明治期における西洋建築の最高峰と称せられる東京駅駅舎を設計したのは辰野金吾。草創期のフランス文学研究者辰野隆の父親にあたる。これ以上のことは知らないが、このことはフランス文学を目指していたころ聞きかじった。 東京駅はルネサンス様式の左右対称の建物で、もともと3階建てだったのが空襲で2階建てになってしまった。それはそれで、もはやわれわれの目に親しんでいる姿ではある。 しかしながらむかしの姿が見たい、本来の形に復元すべし、という声が高まったらしい。 周辺地面を取り仕切る旧三菱財閥系の巨大なツインビルには、駅を見下ろすための特設バルコニーが併設されている。外気も吸えるバルコニーに出てみて、この眺めは駅舎の3階建てを前提とした高さに設計したなと感じた。 昔を遡(さかのぼ)る大昔、旧国鉄に勤務していた父親と、国鉄丸の内本社社屋を仰ぎ見たことがある。晩年、父はエライ人の訪問に極度に怯(おび)えた。夕方4時を越えたころが、ゴーストの現れ時だった。中国大陸から仏印(仏領インドシナ)にかけて転戦した人だから、日本陸軍の上下関係も頭を過(よ)ぎったが、聞けばやがて父を悩ませているのが国鉄のエライ人なのだと見当がついた。怯えは、壮年期を見知っている親であることで、いっそう痛々しさが募った。 おそらく20段階ほどあった階級組織のなかでもがいただろう父には、お疲れさまでしたというしかないが、つくづく本社は悪の権化である。せめてもの供養にわたしは、勤務していた会社の東京本社から阪・名・札・福の支社に電話するとき、「本社**です」という得意げな同僚を尻目に、「東京高橋です」と送話口から発語した。供養になっていればよいのだが。 父に連れられた子供のわたしが、唯一驚かなかったのが東京駅だった。なぜならそれは田舎の銀行そっくりだったから。父とわたしの故郷である岩手県盛岡市の中津川沿いの岩手銀行中津川支店(旧本店)。東京駅三階復興計画の見学団が、大挙して盛岡におみえになったと聞いたのが数年前のこと。計画に着工したから、やがて成果が見られるはずだ。 大阪ミナミに育って80年、「立呑酒処赤垣屋」名物の串かつ、どて焼き、紅しょうが串かつ、はも板と大阪ワサビ漬け、水菜さっと煮などをつまみながら、ゆるりと待つことにいたしましょう。ピッカピカの新しいビルの地下にできた大阪の有名チェーンの東京進出第1号店。寛(くつろ)がない丸の内人種が相手だから苦労は多いだろうが、健闘を祈っている。予算2600円東京都千代田区丸の内2-8-3 TOKIA東京ビルB1
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