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トライアウト情報 松坂健太が繰り返した「野球は楽しい」の真意

 2003年のトライアウトを受験し、福岡ダイエーホークス(当時)に拾われた宮地克彦氏(39=コーチ補佐・野手担当)は、翌04年、規定打席には到達しなかったが、打率3割1分の好成績を残し、古巣・西武とのプレーオフでもスタメン出場を果たした。05年にはオールスター選手初出場、規定打席にも到達した。プロ16年目での目標達成だった。『戦力外通告』の地獄から這い上がった努力は不況・リストラに苦しむサラリーマンたちも勇気づけた。宮地氏以外にもトライアウトで再契約を勝ち取った選手はいるが、古巣時代よりも高い成績を残した選手は少ない。だが、今年のトライアウトで「ひょっとしたら…」と思わせる選手もいた。松坂健太外野手(25)である。
 松坂は西武ドームで特大の本塁打も放ち、身体能力の高さもアピールしていた。松坂もトライアウト後、報道陣に囲まれた。

 −−トライアウトを終えた今の心境は?
 「できれば、西武でずっとやりたかったんですけど…、今は『よし、見取れよ』って。もちろん、感謝もしていますし、次に(次の球団に)行って、見返してやりたいと思います。西武のおかげでここまで出来た土台があると思っていますし、今度は『(次の球団で)ここまで出来ました』という報告がしたい。それは、物凄くたいへんなことだって分かっていますが…」

 −−今日は自分をアピールできたか?
 「もう、怖いものナシっていうか、落ちるところまで落ちたんで…」

 −−戦力外通告を受けたときの心境を改めて教えてほしい…。
 「1週間は気持ちの整理ができなくて…。トライアウトも『もういいや』って思ったときもありました、正直…。でも今日、トライアウトを受けてみて、やっぱり、野球は楽しい。野球は楽しいって分かったのがいちばんなんじゃないですか」

 −−今日まで、練習はどこで? 実家に返っていたのか?
 「いや、こっちにいましたよ。練習は午後5時以降…。みんな(古巣の同僚)の前でやるのが恥ずかしかったし、気を遣わせるのも嫌だったんで、1人で。1人でマシンやネットを使って」

 「実家に返っていたのか?」と質問したのは、一部で「練習していない。行方が分からない」といった報道が流れたからである。それを確認するための質問だったわけだが、1人で練習していたなるコメントに、彼は立ち直ったと確認した者も多かった。

 松坂は走攻守3拍子揃った逸材で、かつては「渡辺(久信=45)監督のお気に入り」とも称されていた。そんな松坂が戦力外となった理由は、「送球難によるイップス」だという。また、大久保博元・前コーチとの衝突も指摘する声も聞かれた。トライアウト当日、遠投を要する守備機会はなかったが、内野手に返球する様子を見る限りでは“解消”されたのではないだろうか。松坂が囲み取材で繰り返し語っていた言葉は「野球はやっぱり、楽しい」というもの。前コーチとのトラブルがどういったものであったのか、それは当事者しか分からない。しかし、松坂ほどの高い素質を持った選手を、道に迷わせてしまったのも事実である。
 スタンドには元西武外野手の柴田博之氏の姿も見られた。氏もトライアウトの受験経験者である。その当時を拙著にまとめた関係で挨拶をさせてもらったが、当時、氏は古巣・西武のことをこう語ってくれた。
 「たとえライバルであっても、アドバイスを送り、『結果で勝負しよう!』と言い合えるチームなんです」
 松坂が西武在籍中の思い出を語るには、まだ早すぎる。彼にもいい働き場所を見つけてほしいと願わずにはいられない。(スポーツライター・美山和也)

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