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「時代」を彩った男と女・あの人は今 元ボクサー・勇利アルバチャコフさん

 1992年6月23日、東京・両国国技館でハリウッドのスター、ミッキー・ロークがボクシングの試合を行い1R2分8秒で相手をKOして勝利した。その時、ミッキー・ロークが放ったKOパンチは「猫パンチ」といわれ話題となった。その試合の前座にWBC世界フライ級のタイトルマッチが行われ、新王者が誕生した。この時の王者がユーリ海老原(当時)だった。そして日本のジムに所属する世界同級王者として過去最多の連続防衛記録を残した。

 勇利は、旧ソ連時代のペレストロイカ政策で来日、協栄ジムに所属して力をつけた。90年にバンタム級でプロデビューしたが、相手を3RTKOで下しボクシングファンに衝撃を与えた。
 翌91年3月、フライ級日本王座に初挑戦。相手を第1Rで3回のダウンを奪い王座を獲得した。

 そして92年、先に上げた試合で世界王者ムアンチャイ・キティカセムを8RKOで下して世界チャンピオンになった。その後、リングネームを「勇利アルバチャコフ」に改め、9回の防衛を成し遂げた。
 この9回目の防衛戦は、相手が5年前に対決するはずであったピューマ渡久地。9RTKOで勝利したが、この時勇利は右拳を骨折、長期休養を余儀なくされた。
 1年以上のブランクを経て行われた10度目の防衛戦。相手は休養中に暫定王者になっていたチャッチャイだった。チャッチャイとは2年前に対戦、勇利が下していたので、その再戦となった。だがブランクの影響は大きく、勇利は12R判定負けを喫した。
 結局、この試合が引退試合となる。その後、トレーナーなどを経験、現在はロシアに帰国。サンクトペテルブルグでジムと飲食店を経営している。また、協栄ジムロシアの代表として日本に格闘技選手を派遣するプロモーターの仕事をこなし、たびたび来日している。ちなみに、勇利は96年に日本人女性と結婚した。

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