本能寺の変は戦国時代最大のミステリーである。明智光秀の動機や黒幕の有無などについて諸説が議論されている。大河ドラマでも大胆な解釈がなされている。たとえば2006年の大河ドラマ『功名が辻』では、信長と濃姫、光秀の三角関係を背景とした。『江』ではオーソドックスな怨恨説を採用したが、味付けは現代風である。それがパワハラとメンヘルである。
労働問題と重ね合わせる演出は過去の大河ドラマにも見られる。1992年の大河ドラマ『信長 KING OF ZIPANGU』では、光秀は信長の期待の大きさがプレッシャーになり、ノイローゼとなって謀反を起こす。炎上する本能寺を見た光秀は「これで眠れる」と独語する。これは当時話題となっていた過労死と重ね合わせたもので、時代を反映した作品であった。
その後、労働問題の焦点は、会社への忠誠心が強いために死ぬまで働くという外国人には理解不能な過労死から、ブラック企業やパワハラ、メンヘルに移った。会社人間(社蓄)という労働者側の特異な性質よりも、企業や職場に原因を求めるようになった。
この流れを『江』も反映している。信長は光秀(市村正親)を侮辱し、領地召し上げなど嫌がらせを繰り返す。これは現代的にはパワハラ(パワーハラスメント)である。光秀は屈辱のあまり、手の震えが止まらなくなる。これは現代的にはメンヘル(メンタルヘルス)に重なる。
信長は森蘭丸(瀬戸康史)には、光秀に期待しているために冷たい態度をとっていると真意を語るが、パワハラ上司の事後的な言い訳と同じである。信長の真意が光秀に伝わることはないし、光秀が理解することもない。現実に光秀は謀反を決意した瞬間に、手の震えが止まった。これは会社を休む、または辞めることを決意した途端、心身の不調から解放されるメンヘル患者に似ている。
『江』では新たな信長像を提示した。しかし、それも数多くある信長像の一つに過ぎない。江にとっては良い叔父であるが、光秀にとっては理想的な主君ではなかった。信長のような態度を続けていれば謀反を起こされても仕方がないと思えるものであった。どちらも各々にとって真実である。信長を美化しつつも、『江』は複眼的な視点を忘れていない。
(林田力)