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【帰ってきたアイドル親衛隊】本人公認だったが…コールの難しさを学んだ中村繁之の現場

 1980年の田原俊彦のデビューから始まり、毎年のようにジャニーズ事務所からアイドルがデビューをして、80年代のアイドルブームを引っ張っていった。83年3月に前年にデビューしたシブがき隊に続いて、イーグルス(中村繁之・内海光司・大沢樹生・宇治正高)が結成された。『走れ!ゴーインBOY/イーグルサムのマーチ』でシングルデビューを果たし、翌年に行われる予定のロサンゼルスオリンピックのマスコットキャラクター「イーグルサム」を主人公にしたアニメの主題歌となった。

 オリンピック関連の曲を歌うことで話題にもなり、当時はヨーヨーブームだったこともあり、オリンピックのキャラクターがヨーヨーになったりと、話題には事欠かなかった。巷ではヨーヨーコンテストなども頻繁に行われていて、そこにイーグルスのメンバーがやって来ることもあった。そのころの私はというと、ヨーヨーコンテストに何度も出場して、大会で優勝までしてしまった。しかし私の出た大会にはイーグルスが来ることはなかった。なかなかイーグルスに会う機会に恵まれなかったが、中心メンバーだった中村繁之とは何かと縁があり、公開番組『レッツゴーヤング』(NHK)にサンデーズとしてレギュラー出演していたこともあり、何度か客席で観ることはあった。

 その後も中村と頻繁に会っていたが、85年には自然消滅という形でグループは解散してしまった。その解散をキッカケに中村はソロとして活動することになり、85年7月にソロとして『Doファッション』でデビューすることになった。その年の10月には『Shige's Cafeへようこそ』(TBSラジオ)という番組のパーソナリティーに抜擢された。この番組は公開生放送だったこともあり、私は毎週のように収録を観に行っていたのである。目当ては申し訳ないが中村ではなく、毎週アイドルが数人ゲスト出演するので、ゲスト目当てで行っていた。

 番組では中村がステージに登場すると冒頭でなぜか私が「しげちゃ〜ん」と客席からコールを入れるのが定番だった。ある日の出待ちの時にコールのことを中村本人に話したところ笑顔で喜んでくれた。本人の承諾を頂いたことで、毎週しっかりコールをするのだが、失敗してはいけないというプレッシャーはハンパ無かった。幸いにして失敗することは一度も無かったが、コールの難しさを学んだ現場でもあった。

 中村はソロになりこのような番組で司会をやったり、ドラマに出たりしていたが、肝心な曲は全部で4曲を発売しただけで、お世辞にもアイドル歌手として成功したとは言えなかった。その後93年には、ジャニーズ事務所を退社して、本格的に俳優活動をするようになり、舞台やドラマでの仕事が中心になってしまったことで、私は中村と会う機会は完全に無くなってしまった。

 現在も俳優を中心に活動をしているのだが、中村繁之&THE JARI-TAというバンドを結成して、2016年5月にアルバム『再生(Reborn)』をリリースした。すでにライブ活動もスタートしているみたいなので、ライブにはアイドル当時のファンが多く駆けつけていて、かなり盛況だったそうだ。さらに9月1日が中村の49歳の誕生日ということで、この日はバースデーライブの開催も決まっている。そこではアイドル時代の曲なんかもきっと歌ってくれると思うので、今から大きな期待が持てそうだ。もし可能ならイーグルス時代の曲も歌ってくれると嬉しいのだが、それは厳しいかな。

 俳優だけでなくバンド活動をスタートしてくれたことで、中村に会える可能性も高くなったので、近いうちに中村の現場に遊びに行ってみたいと思う。その時は「しげちゃ〜ん」とコールをしちゃいますからね(笑)。

(ブレーメン大島=毎週土曜日に掲載)

【ブレーメン大島】小学生の頃からアイドル現場に通い、高校時代は『夕やけニャンニャン』に素人ながらレギュラーで出演。同番組の「夕ニャン大相撲」では元レスリング部のテクニックを駆使して、暴れまわった。高校卒業後は芸人、プロレスのリングアナウンサー、放送作家として活動。現在は「プロのアイドルヲタク」としてアイドルをメインに取材するほか、かつて広島カープの応援団にも所属していたほどの熱狂的ファンとしての顔や、自称日本で唯一の盆踊りヲタとしての顔を持つことから、全国を飛び回る生活を送っている。最近、気になるアイドルはNMB48の三田麻央。

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