シブがき隊は、82年5月に『NAI・NAI 16(シックスティーン)』でシングルデビューを果たし、82年デビュー組の目玉になった。同期には、小泉今日子、中森明菜、松本伊代、早見優、堀ちえみ、後に奥さんとなる石川秀美に『2年B組仙八先生』で共演した三田寛子、本田恭章などがいた。豪華な面々が揃い、この年の新人賞レースは激戦になり、年末までどのような流れになるか予想すらできなかった。
このころは見たいアイドルが大挙していたこともあり、私は各局が主催する音楽祭や公開番組の収録に頻繁に行くようになった。同期の共演が多かったシブがき隊とも必然的に会うことが多かったので、そのシブがき隊と初めて会ったのは、82年7月に新宿三井ビル広場で行われた『新宿音楽祭』のノミネート披露の時。あくまでも目的はシブがき隊ではないが、ここで驚いたのは、シブがき隊のファンの多さである。全員のステージが終わってから舞台裏に回って、出待ちをすることにしたのだが、そこには多くのファンがいて、アイドルに近づくことが本当に困難だった。
そんな時にシブがき隊の3人が私の目の前にやってきたのだ。その時の薬丸は『2年B組仙八先生』の時のような鋭く恐い印象であり、声を掛けることすらできなかった。自分の中で、薬丸=恐いという図式ができてしまった瞬間である。それから何度も出待ちなどで遭遇することが多かったのだが、常にサングラスを掛けているので、さらに恐さが強調されていった。しかし、いざ話してみると見かけとは裏腹に、物腰の柔らかい感じであり、次第に恐さが薄くなっていった。
88年に大人気だったシブがき隊は解散。そのころは、これまでのアイドルブームが嘘のようになり、アイドル氷河期というアイドルの不遇な時代になってしまった。解散をして3人はそれぞれの道を歩むことになるのだが、薬丸はタレントとして再スタートを切ることになった。そして90年に運命の日がやってきた。同期の石川秀美と結婚することが発表された。しかも妊娠8か月という。当時を知るファンにとってはショックな話である。
それから薬丸は順風満帆にタレントとしての地位を築いてきたのだが、93年に私が薬丸と再会する時がやってきたのだ。当時の人気番組『なるほど!ザ・ワールド』(フジテレビ系)の収録で薬丸と会えることになった。薬丸は堺正章とコンビを組んで、回答者としてレギュラー出演していた。その時の私はというと番組の前説を担当。収録では前説と出演者という関係なので、番組が始まる直前に私は下がってしまうので、いつもすれ違うだけだったのだが、番組の改編の時に、赤坂プリンスホテルで特番の収録が行われた時に、ようやく対面できることになった。その時には当時の恐かったイメージの話をさせてもらったのだが、実際はすごく優しいお兄さんで、これまでのイメージを払拭できた大事な瞬間だった。これをキッカケに通常収録の前説の時に、挨拶程度だったが、話しができるようになった。
この時からすでに20年以上の月日が経ってしまい、それまで薬丸と会っていないのだが、おそらく何かの取材で再び会えると思うので、そんな日を楽しみにしたいと思う。その時は昔話ではなく、奥さんの石川秀美について聞かせてもらいたい。
(ブレーメン大島=毎週土曜日に掲載)
【ブレーメン大島】小学生の頃からアイドル現場に通い、高校時代は『夕やけニャンニャン』に素人ながらレギュラーで出演。同番組の「夕ニャン大相撲」では元レスリング部のテクニックを駆使して、暴れまわった。高校卒業後は芸人、プロレスのリングアナウンサー、放送作家として活動。現在は「プロのアイドルヲタク」としてアイドルをメインに取材するほか、かつて広島カープの応援団にも所属していたほどの熱狂的ファンとしての顔や、自称日本で唯一の盆踊りヲタとしての顔を持つことから、全国を飛び回る生活を送っている。最近、気になるアイドルはNMB48の三田麻央。