番組が終了すると、すぐに布川と本木と薬丸の3人でシブがき隊が結成されるのだが、すでにドラマ出演で知名度を上げていたことで、同期のアイドルの中では頭ひとつ突き抜けていた。結成された82年はアイドルにとって伝説とも言われる年でもあり、同期には小泉今日子・中森明菜・松本伊代・早見優・堀ちえみ・三田寛子・石川秀美、男性は本田恭章・新田純一・ミッキーなどがいた。この年の新人賞レースは激戦であり、ノミネートの段階でこれまでにない盛り上がりを見せてくれていた。
シブがき隊は音楽祭などを中心に観る機会があったのだが、そんなシブがき隊を初めて観たのは新宿音楽祭の新人賞ノミネート歌手の披露が行われた時である。多くの人気アイドルが集結したことで、たくさんのファンが来ていたのだが、私は前方の下手あたりをキープすることができた。その席は目の前が布川が来るポジションだったことで、ほとんどが布川を観ている状態になっていた。終わった後は出待ちをしてみたのだが、あまりの人の多さで、布川に話しかけても自分の声が届かないままだった。
以降も公開収録や出待ちで何度も布川と遭遇する機会はあったのだが、実際に話をすることは無かった。ようやく会えたのは85年9月である。TBSの玄関前で出待ちをしていたところに、シブがき隊の3人が現れたのだ。ここで3人と話をすることができて、布川には「オレも黄色が好きなんですよ」とどうでもいいことを言ってしまった。その時に、何を話していいかわからなかったので、布川のイメージカラーでもある黄色をキーワードにしてしまったのだ。こんなくだらないことにも笑顔で対応してくれた。今に思えば失礼なことを言ってしまったなと反省しきりである。
その後86年6月に、私にとって大きな転機が訪れた。私が『夕やけニャンニャン』(フジテレビ系)の素人参加コーナーに出演することになり、そこで布川の妹の布川智子と出会うことになったのだ。おニャン子クラブが大好きだった私は、まさかそこに布川の妹が在籍するなんて思ってもいなかった。ちなみに兄の布川敏和も『夕やけニャンニャン』にレギュラー出演していたのだが、私が出ていた曜日とは違ったので、番組で会うことはずっと無かった。その『夕やけニャンニャン』が、87年8月に最終回を迎えることになった。この最終回には私も出演していて、そこで布川と再会することができたのだが、番組中で話を振られる程度で、まともな話はできなかった。
それから約1年後の88年7月に鹿児島で布川と会うことになった。『やる気マンマン日曜日』(TBS系)という公開収録が行われ、この番組に私が芸人として出演。そこに布川はゲストで登場した。番組では絡みは無かったが、番組の打ち上げで、しっかり話すことができたのだ。出会ってから6年である。しかも打ち上げ場所が、バブル真っ只中だったこともあり、当時の最先端ディスコのマハラジャだった。そこで一方的だが、これまでのことを色々と話した。話の内容より、布川と一緒にお酒が呑めたことに嬉しさを感じていた。
それから何度も仕事で一緒になったり、共通の友人がいたことで、何かと縁があったのだが、もう10年以上は会えていない。おそらく私のことなんて覚えていないと思うが、もし会える機会があるのならば、たくさん話したいことがある。いつかそんな日が来るのを夢見たいと思う。
(ブレーメン大島=毎週土曜日に掲載)
【ブレーメン大島】小学生の頃からアイドル現場に通い、高校時代は『夕やけニャンニャン』に素人ながらレギュラーで出演。同番組の「夕ニャン大相撲」では元レスリング部のテクニックを駆使して、暴れまわった。高校卒業後は芸人、プロレスのリングアナウンサー、放送作家として活動。現在は「プロのアイドルヲタク」としてアイドルをメインに取材するほか、かつて広島カープの応援団にも所属していたほどの熱狂的ファンとしての顔や、自称日本で唯一の盆踊りヲタとしての顔を持つことから、全国を飛び回る生活を送っている。最近、気になるアイドルはNMB48の三田麻央。