最初に勤めたのは1983年ごろ、大型アルバイトクラブ「レオ」という店だった。当時は女子大生ブームの真っ直中、ホステスはアルバイトの若い女の子ばかりで、後に「キャンパスクラブ」という形態で世間に広まっていく。
「動機は単純、お小遣い稼ぎでした。週3回ぐらいでいいかなぁって思ってたら、入店した日から毎日来てくれって言われて。結局、3年間1日も休むことがなかったですね」
しかし当時のママは、なんとまだ女子高生だった。
「自宅に住んでいたので両親には内緒でした。うちの両親は寝るのが早くて、夕方の5時ぐらいには夕飯を食べて7時ぐらいには寝てしまうんです。なので、両親が寝てからソッと家を抜け出し、お店に通ってました。家は玄関を通らず直接2階から階段で外へ出ていけるようになっていたんです。だから、明け方に帰ってきてソッと寝たふりするんです。でも、あるとき2階のドアにブザーが付いていて。私が外から帰ってきたら両親の部屋で鳴るようになってたんです。私が外出しているのを薄々知っていたんでしょうね」
女子高生時代には1日の指名数50本という大記録(?)を打ち立てている。その裏にはドラマがある。
「部活を終えてから店に出ると、出店時間の6時に間に合わなかったんです。けど、同伴出勤なら7時半からでOKだったんで、そのときは店の前の公衆電話からお客さんに電話して、同伴出勤をお願いしてたんです。でも、同伴してくれるお客さんが必ずいるわけでもないですし。そしたら向かいのボッタクリの店のキャッチのお兄さんが『何してんの?』って声を掛けてきて。『同伴してくれるお客さんを探してるの』って言ったら『ちょっと待ってな』って、そのへんを歩いているおじさんを連れてきてくれて(笑)。店の前の公衆電話から電話している私を、いつも見てたんだそうです。しかも部活帰りなもんで、バスケットボールを何個も抱えながら電話していた…なんてこともありました。だから『こんな女子高生が何やってんだろう?』って、不思議に思ってたらしいんです。で、話を聞いてみたら、ここで学校帰りに毎日バイトしていると。真面目な娘だなって感心したらしくて。以来、ちょくちょくお客さんを回してもらいました。中でも一番世話になったのは、ある年の大みそか。途中から入ってきた女の子に私がナンバーワンの座を取られてしまって。12月30日で指名数の差が11本もついたんです。大みそかは休もうと思ってたんですが、それだけ差を付けられるとシャクだし、逆転できるとは思ってなかったけど出勤することにしたんです。そしたら、大みそかに働いてる私を見たお兄さんが『こんな日まで働いてるなんてスゴイね』って声をかけてきて。実はかくかくしかじかで…って言ったら、また『分かった』って。そしたら、お兄さんがドンドンお客さんを連れてきてくれて。その数なんと50組、人数で言うと100人近かったかな(笑)。これ、今だに私の1日の指名数の記録です。しかも営業中に『あと何人要る?』って電話までしてくれて(笑)」
かと言って、そのお兄さんは「俺と付き合え」とか「金寄こせ」なんて一言も言わなかったそうだ。
高校を卒業し、そのまま水商売の道に進むのかと思いきや、なんとコンピュータの専門学校に進学。同時に家を出てマンションを借り、一人暮らしを始める。
「当時はコンピュータなんて全然なくて、今にして思うと早すぎた選択でした(笑)。一日の生活サイクルは昼は学校、夕方6時から12時までは『レオ』、さらに別の店で朝の4時まで雇われママをしてました。朝は24時間営業しているポーカー喫茶とかで勉強して、そのまま学校に行ってました。いつ寝てたんだろ?(笑)」
学校を2年でキチンと卒業。その直前に「レオ」を辞め、スカウトされた高級クラブに“移籍”する。20歳ごろの話だ
「入店したら、店で着る洋服を買って来いってポンと100万円を渡されて。高級クラブは違うなーって思って、一着15万円の洋服を7着も買ってきたら、後で全部給料から引かれましたけど(笑)」
その後も高級クラブからの誘いは引きもきらず、折しも時代はバブルの絶頂期。店を移るたびに収入もうなぎのぼりだった。
「月1000万は普通でしたね。当時、お客さんからブランデーをロックで一気に飲んだら1万円あげるって言われてグッと飲み干して。おかわりしてまた1万円。結局10杯ぐらい飲んで、お札を胸の谷間に差し込んで。でも、酔っぱらってトイレに行くと、席に帰ってくる間に全部落っこちて無くなってるんですよ(笑)。あと、アイスペールにボトル1本を注ぎ入れて、回りに1万円札10枚くっつけて、飲み干したら全部あげるよって。もちろん飲み干しました(笑)。そんな毎日でしたね」
チップだと言って100万円、ヘルプの女の子ですら10万円。ある店でナンバーワンの女の子が入院したら、お客さんのお見舞い金が700万円。本当にすごい時代だったと語る。
「お客さんが宝石箱持参で来店して『潰れた店からもらってきたやつだから、好きなの取れ』ってこともありました。あるとき、初めてのお客さんから王冠大のエメラルドのネックレスをもらったことがあるんです。そのお客さん、本当はお気に入りのママにあげるつもりだったんだけど、そのママがもっと大きなネックレスをしてたんで、あげるわけにいかなくなって私に回ってきたみたい(笑)」
現金で1億円たまったら店を辞め、自分で店を開いて人に任せようと思っていたそうだ。そして24歳のとき、自分の店を開店する。
「ところが月の赤字が500万円超(笑)。1億なんてアッという間に消えて無くなりました。私は『バブルが弾けて客が来なくなった』って思ってたんですが、実は従業員たちが使い込んでたんです。ファミレスで1回で10万円も飲み食いされたことも。そんなに何食べたんだって(笑)、怒るというより呆れました」
また1億円を稼ごうと再び店で働き始めた。そして26歳のとき、地元の中野新橋に一軒家を購入。家を買うホステスというのも珍しい。そして、再び1億円がたまった。
「祖母の一周忌に家族会議があって、遺産相続で長男に会社、次男と長女に2世帯住宅を一世帯ずつ。そして私には…なにもなし(笑)。1億円で実家を立て直そうと思っていたのに、その仕打ちは何!って怒ったら、あなたはもう家を持ってるじゃないって(笑)。もう、実家とケンカ状態ですよ」
宙に浮いた1億円の使い道に困った亜紗子ママ。ヤケになったか、なんと麻雀にハマってしまった。
「お客さんの紹介で雀荘に行く機会があって。私はズブの素人で、待ち受けている方々はプロの皆さん。毎日10万ぐらいずつ負けてました。レートは普通なんですが、一回の額が大きかったし、通った期間も長かったので、気が付いたら1億円が溶けてなくなってました(笑)」
とはいえ、お金のために働き続けてきたわけではない。愛想がいいわけでもなければ口が上手いわけでもない、そんな自分がなぜ歌舞伎町の高級クラブでトップクラスにいられたのか、自分でもよく分からないと告白する。
「実は一昨年の12月に乳ガンだと診断されて。早期に手術したおかげか、取りあえず今は大丈夫。でも、人生観が変わりました。生きている間にやりたいことを全部やっておこうって。それにせっかくオーナーになったんですから、この店に全力投球です」
クラブ「プリヴェイル」はセット料金3万円の高級店。場所は風林会館向かいのビル7階。ママの話を聞けるだけでも、価値があるかも知れない。
▼「プリヴェイル」 新宿区歌舞伎町1-3-11梅村ビル7F