この作品は昭和映画を代表する『男はつらいよ』シリーズなどと同時期に放映されていた。当時、スクリーンの中に現れたデコトラのド派手な姿と迫力満点に走る様子は、子供だけでなく大人たちをも惹きつけた。
オカルト作家・山口敏太郎も少年時代「トラック野郎」に魅せられた一人。
そして今、須藤為五郎さんも制作に参加し出演している平成版「トラック野郎」こと、俳優・哀川翔主演の『デコトラの鷲』シリーズ誕生の秘話などをインタビューすべく、作家の山口敏太郎氏が直撃した。
【昭和から平成の「トラック野郎」】
須藤:僕はずっと東映にいたんですけど、東映の撮影場時代、新人の哀川翔が入ってきて、もう彼とは25〜6年の付き合いなんです。
山口:そんなに長いんですか。
須藤:はい、それで僕は撮影場にいたからプロデュースのことも考えていたので、「俺がトラック野郎みたいな映画をやったら、出てくれる?」という話を最初は飲んでる中で二人で話していて、「うん いいよ」なんていう話が8年くらい前かな…? それが現実になったっていうか…。
山口:そうなんですか…。須藤さんは元々、若い頃に文太さんのオリジナルの方のシリーズに出てらしたんですか…?
須藤:ええ、出てました。僕は後半なんですけど、7・8・9・10作目…。
(※注:7…トラック野郎突撃一番星、8…トラック野郎一番北へ帰る、9…トラック野郎熱風5000キロ、10 …トラック野郎故郷特急便)
山口:僕らが子供の頃は、桃さんのシリーズをけっこう観ていたんで。徳島東映の、創業者の孫が僕の友達だったんですよ
須藤:へぇ!
山口:「あれはね「寅さん」を食うために「トラック(寅食う)」なんだよ」って話を聞いたんで、「絶対嘘だぁ」なんて思っていたんですけど、あれって本当なんですか?
須藤:まぁ、松竹映画に対抗して「寅さん」に対抗して、『トラック野郎』を作ったんです。
山口:やっぱり対抗して…。
須藤:ああ、その前にね『お祭り野郎』っていうのがあったんですよ。松方弘樹さんで。その「野郎」シリーズにしようと思ったんですけど、それがあまりウケが良くなくって…そんなこと言っちゃいけないよな? …もう時効だからいいか(笑)。
山口:(笑)
須藤:30年以上前ですね。
山口:『お祭り野郎』って何作か続いたんですか?
須藤:いや、一作で終わりました。一作で駄目でした…。それで一作目にそんなに予算を掛けないで、『トラック野郎』という映画を作ろう! という話で。僕が聞いた話なんですけど、当時低予算で、トラックも八王子の実際に乗っているトラックを借りたりして…。
山口:撮影用に作った物じゃなくて、既存のやつを?
須藤:えぇ、それを使って撮ったのがバカ当たりしちゃって。
山口:斬新ですよね! あの当時デコトラをフィーチャーした映画ってなかったですし…
須藤:なかったですねぇ。
山口:僕の親父は運送屋だったので、運送屋の人たちが喜んで見ていたので。
須藤:ははは(笑)
山口:で、現存している物が数台残っているのは…?
須藤:一番星ですか?
山口:一番星の撮影に使った物が、雑誌のミリオン出版の『ナックルズ』に載っていると…。
須藤:あれはレプリカっていいますか…。
山口:レプリカも何台かあったのですか…!?
須藤:あれは真似て作った人がいるんですよ、四国の人で。
山口:じゃあ、発見されたものはオリジナルじゃない?
須藤:オリジナルじゃないんです。『カミオン』(日本文芸社)とか『トラックボーイ』(日本文芸社)」とか、いろいろな雑誌があって、「一番星号どこにいるの?」って僕は追っかけたんですよ。最後に栃木県のパチンコ屋にあるって言っていましたね…。
山口:その後行方不明に?
須藤:そのまま行方不明になっちゃって…どこかで買取り、買取りでも今はないんですかね…。それで四国のトラッカーの人が再現で作ったのが「一番星号」で、現に今乗っていますね。
山口:そうなんですか。
須藤:イベント車ですね。
山口:じゃあイベントで盛り上がるために…。
須藤:ええ。
山口:それで、須藤さんがずっとお世話になっていて、シリーズを新たにやりたいという希望があったわけですか?
須藤:終わった後も…「トラック野郎復活」みたいなこともやっていたんですよ。
山口:文太さん主演で…?
須藤:文太さんもそうでしたけど、それから黒沢年雄さんで、『ダンプ渡り鳥』ってのをやったんです。
山口:えぇ! そういうのあるんですか?
須藤:それからトラック野郎が終わって、3〜4年経ってからかな…。『ダンプ渡り鳥』をやったんですけど…評判がいまいちだったんですよ。それで段々影が薄くなって。
自分の気持ちの中で、『トラック野郎』がずーっと残っていて。その頃に文太さんの『トラック野郎』の映画がやっていた時に、東映で「グループ一番星」というトラック仲間のグループを作って、翔は一番若手で入っていて。ちょうど西に、京都の方は「ピラニア軍団」というのがあって、川谷拓三や室田日出男がいて。それに対抗して東京で作ったんです。
山口:あぁ〜…懐かしいですね。
須藤:そんな流れがあって「一番星グループ」ってのが残って。
山口:役者の繋がりで…。
須藤:そう、繋がりで。トラックのイベントも盛り上がっていったんですよ。いつか『トラック野郎』みたいなことやりたいねってずっと気持ちの中で残っていたので、どこかでやりたいなと思っていたんです。それで色んな話を持っていったら、「平成のトラック野郎は誰だろう…? ああ、哀川翔だ。前に一緒に飲んで話をしていた哀川翔を使おうかな…」っていうことで、哀川翔に。ちょうどその時、翔ちゃんもヤクザ映画全盛期のVシネマの方に集中していたんで、コメディはやらないだろうと周りから言われたんです。
山口:あぁ、ちょっとコミカルなシーンはありますものね。
須藤:それで誰も言わなかったんですけど、僕には自信があったので、言ってみたら二つ返事でOKしてくれて。
山口:へぇ…。それは何年前ですか?
須藤:8年前かな。
山口:それでスポンサーも見つけて。
須藤:そうですね。
山口:昔の仲間も集まったんですか?
須藤:そうですね、初代の文太さんのモデルになった宮崎さんという人がいるんですけど、ウチの作品に出てもらって…。
山口:出たんですか!
須藤:ええ。それでアートトラックの仕切りをやってもらったりとか。
山口:いいですねぇ。
須藤:おかげ様で、全国のイベントに行くんで、北海道から九州までデコトラの会があるんですよ。
山口:子供の頃見ていた我々の世代が、お金や時間に余裕が出てきて、なんだかそっち(イベント事)の方に向き初めている動きがあるような気がするんですよ。模型とかプラモとか…。今の中学生とか高校生でも、自転車をデコチャリにしたりして。けっこう皆凝るようになっていて。
須藤:ええ、そうですそうです(笑)
山口:なんかこう、ブームが一回転してまた復活しているのかなぁって思うんです。
須藤:飾りも段々変わってきてるのはありますけどね。
山口:進化が見られるのですね…。
須藤:ええ、いろいろありますね。今までは灯りを主にしていたところがアートになっているとか。
山口:そうですね…。前は僕らが子供の時に喜んで見ていた物はお母さん連中に「悪趣味だ」って言われて。
須藤:ええ(笑)
山口:子供はキラキラしてて綺麗だから好きだっていうのがあるじゃないですか。それが今はわりとモダンアートなんて言われて、「あぁ、これはかっこいいんじゃない?」って評価に変わっていますよね。
須藤:変わっていますね。
山口:露骨な男の趣味みたいな所が女性にも認められるようになって、面白い動きだなぁって思って。ブームって何度も繰り返すもんだなって気がしてきて…。
須藤:そうでしょうね…。
(つづく)
※写真は『トラック野郎 故郷特急便』DVD(劇場公開は1979年)