大野といえば、嵐の中でも歌唱力とダンステクニックが長けているうえ、絵画や粘土といったクリエイター気質にもあふれている。アイドルと俳優という二面性だけではなく、多面的な魅力にあふれているため、後輩のHey! Say! JUMP・知念侑李、俳優の小栗旬や菅田将暉ほか、芸能界にもファンが多い。
多大な影響を受けて、変わるチャンスをつかんだのは後輩のNEWS・加藤シゲアキ。大野より5年後輩で、7歳年下だが、2人は同じ趣味の釣りで強く結ばれた。自動車の運転免許を持たない大野のために、加藤が愛車で送迎。大野の自宅マンションに上がった数少ない芸能人でもある。
「大野さんは08年と15年に、およそ10年間温めてきた絵、フィギュア、オブジェなどを集めた個展を開催。2冊のアート作品集も出版しています。中国・上海でも開いたため、“芸術家・大野智”の名はアジアに広がりました。これに触発されたのが加藤さん。人気アイドルながらも趣味に没頭して、結果を出したことに背中を押されて、小説を上梓したのです」(スポーツ新聞の芸能記者)
加藤は12年、アイドルの闇を描いた処女作『ピンクとグレー』(角川書店)で文壇デビュー。コミック、文庫本などで累計発行部数45万部を突破するメガヒットとなり、映画化もされた。ジャニーズ初のベストセラー作家であり、現在も連載小説を抱える身だ。
そもそも嵐は、大野加入によって始動した5人組。最初に決まったメンバーは櫻井翔と松本潤だったが、CDリリースするにあたって、決め手に欠いた。そこで、ジャニー喜多川社長がジャニーズJr.から大野を抜てき。執拗に勧誘したが、大野は拒否した。
「16歳から18歳にかけて、ミュージカル『ジャニーズ・ファンタジー KYO TO KYO』の主役で、京都に移住。千秋楽を終えて帰京すると、達成感に満ちて、二十歳になる前に芸能界を辞めようと思ったそうです。そんな時に舞い込んだのが、嵐結成。嫌で、およそ2週間も携帯電話の電源を切って、逃亡したといいます」(前出・芸能記者)
嵐結成10周年(09年)の時にも、芸能界引退を考えている。アイドル史上初の東京・国立競技場“3日連続”公演を成功させ、再び燃え尽き症候群となったのだ。ちょうど創作活動が波に乗り出した時期。今回と同じく「自由になりたい」という欲望が、再び芽生えたようだ。
嵐と自由と愛した大野。休止するまでおよそ2年、括目しなければならない。
(伊藤由華)