監禁された少女は、東京都江戸川区出身のA子(発見当時17歳)で、彼女は中学2年生だった15歳時に行方をくらました。彼女は中学生の頃から不良とつるむようになり、ほとんど家に帰らず、両親も彼女の教育をあきらめ放置していたようだ。
そんなA子は家に帰らず、何をしていたのかというと、上野や浅草に出ては暴力団員と交際し、覚せい剤を分けてもらい注射していたという。ところが、しばらくしてA子に覚せい剤を分け与えていた暴力団員が逮捕された。クスリが手に入らなくなり困り果てたA子は他の団員に頼み込み、クスリを仲介する他の団員を紹介して貰ったのだが、それが当時61歳のSであった。
SはA子に対し、「俺のところに来れば、シャブ(覚せい剤)はいつでも打ってやる」と誘い出し、それから2年渡る老人と少女の長い同棲生活が始まった。
Sは暴力団の一員であるが、体が不自由で生活保護を受けていた。彼女を、溺愛する孫もしくはペットのように扱い、小遣いを与え、洋服も買ってあげていた一方、体の自由がきかないため、A子に身の回りのことを任せていたという。A子も何度かSからの脱出を企てたが、既にA子の体は覚せい剤に冒されており、Sの支配から抜け出すことは困難であった。
「このまま一生、Sの奴隷になるしかないのか」
同棲生活が2年余り続いた1986年10月、Sが目を離した隙にA子はついにSの家から脱出。A子は長い間、留守にしていた実家へ命からがら逃げ帰り、助けを求めた。A子は2年以上に及ぶ覚せい剤の中毒の影響で、既に衰弱しており、ほとんど言葉も話せない状態であったが、Sとの生活をポツリポツリと話すようになり、数日後、女子中学生の青春を奪った鬼畜老人・Sはようやく逮捕された。
この当時、東京では不良化する生徒が社会問題になっており、このA子の事件以外にも、クスリ漬けにし、暴力団の事務所で働かせる事件が発生するなど、不良生徒は暴力団から格好のターゲットにされていたのである。
文:穂積昭雪(山口敏太郎事務所)