去る6月6日、都内のホテルで開かれた「東関親方の定年を祝う会」には、高砂一門の親方や関取衆、さらに渡辺氏が育てた元横綱の曙(現プロレスラー)や、ハワイの後輩であるKONISHIKI(元大関小錦、現タレント)、振分親方(元横綱武蔵丸)ら、およそ1000人が出席した。同じハワイ出身のオバマ米大統領からも祝電が届くなど大盛り上がりで、渡辺氏はいつもの柔和な顔で「とてもうれしい」と声を震わせた。
大相撲界に別れを告げた渡辺氏。名跡の「東関」や高見盛をはじめ11人の弟子たちは、まな弟子の現東関親方(元幕内潮丸)に譲渡したが、今でも墨田区東駒形の東関部屋の4階に暮らしている。
「建物そのものはまだ渡辺さんのもの。現東関親方は近くのマンションに住み、毎朝、部屋に通勤している。渡辺さんは、さすがに退職後はけいこ場には顔を見せなくなったが、妻とは半別居状態のため、食事も以前と同じように毎日、部屋の若い衆が作って届けています」と部屋関係者は話している。
渡辺氏は退職するとき、今後の生活について「ボクは日本人よ。だから、これからも日本にずっと住み、日本で死ぬつもり。出身地のハワイに移住はしない」と明言している。
いずれは他に居を構える予定だが、日本を離れる気持ちはないと見ていい。相撲協会を退職した渡辺氏はまさに悠々自適の日々。とはいっても人気者ゆえに、なかなか周囲が放っておいてはくれず。生涯で10敗のみ、史上最強の力士と言われる大関雷電の出身地、東御市(長野県)の観光大使に就任する予定だ。
渡辺さんが本当の退職生活に入るのはまだ先のことになりそうだ。
渡辺大五郎氏が角界に入門したのは、1964(昭和39)年2月。当時の師匠・高砂親方(元横綱前田山)に5年間の衣食住を保障するとスカウトされたからだった。
初土俵は同年の3月場所だが、次の5月場所では対戦相手が何もせずに土俵から逃げ出すというハプニングがあった。
角界始まって以来の外国人力士とあって、いろんなエピソードと苦労話には事欠かない。
とくに股割りのけいこの際には涙を流していたと言われ、「目から汗が出た」というセリフはテレビのドラマやお笑い番組などに使われた。
67(昭和42)年3月場所で十両に昇進、初の外国出身で外国籍の関取となった。翌年の1月場所で同じく初の幕内力士となり、3月場所には横綱佐田の山、9月場所に横綱柏戸からそれぞれ金星を上げた。
69(昭和44)年11月場所で小結に昇進、その後は平幕との往復が続いた。そして72(昭和47)年7月場所で13勝2敗の幕内最高成績で外国出身力士初の優勝を飾った。