年金は満足に貰える見込みが薄いし、預金の金利もスズメの涙。家族もあてにならない上に、そもそも結婚できるかどうかも怪しくて、とかくこの世は住みにくい。
■衰退期でも不幸とは限らない
日本40年周期説というものがある。明治維新を起点に、日本の近代史は、ほぼ40年ごとのサイクルで回ってきたというものだ。
その説によると、明治維新(1868)から日露戦争(1905)までの新興期、日露戦争から敗戦(1945)までの慢心期、敗戦からバブル初年(1986)までの復興期と、40年ごとに時代は大きく変遷してきたという。今は86年から2025年頃まで続く周期の中にいるわけだが、これはおそらく「衰退期」と呼べる性質のものなのではないかという人が多い。確かに経済も国際的地位も衰退の一方だ。
しかし必ずしも、衰退=不幸というわけではない。若い世代には「うちらバブルとか知らないし」「もの心ついてからずっと不景気って言われたから、それが普通」という感受性を持つ人も育っていて、使うお金がないからと言って別段の不満を持つわけでもない。
■変化を楽しめば、衰退期も怖くない
世の中はどうなるか分からないのが常だ。特に今のように既成の価値や構造があっという間に崩れ去って、新しいものにとって変わる多い時代は、絶対に失敗しない人生の設計なんてしようがないと言ってもいい。
いや、ひとつだけ絶対に失敗しない人生の設計は可能だ。それは変化を受け入れ、楽しめる柔軟性を身につけること。期待が外れて元々、何がやってきてもへっちゃら、どんなものにでも良い面を発見するという精神状態でいることだけが、確実な幸せを保証するのだ。
■未来は現在の延長線上にはない
人々の多くは、現在の価値観が未来永劫続くという暗黙の前提で生きている。未来でも現在の価値観は通用するはずと勝手に考え、現在の延長線上の利益の最大化とリスクの最小化が正しい人生設計だと考えている。しかし、実際は時代ごとに価値観は変化する。
今はなんだかんだ言ってお金が価値観の中心を成す時代だから、国全体が衰退期に入っている以上、国民全体が不幸になっていると考えてしまいがちだ。しかし、毎年服を買い換えるよりも、10年後20年後にも着れる服を選ぶという楽しみ方だってあるし、お金がないならないで、時間をたっぷり使える世の中にするという選択もある。そもそもGDPが下がったって、物を融通し合たり中間搾取を無くせば、物質的には豊かになるという可能性だってあるのだ。
怠けた結果、衰退するのは問題だが、グローバル化で世界全体が豊かになっていく中で、今まで豊かだった日本が相対的に衰退するのはある意味で仕方ない。変化を恐れることを止めるだけで、今の問題はただの問題ではなく、新たな可能性でもあるということに気付くのではないだろうか。もしかすると、衰退期は今の価値観で捉えているから衰退期に見えるだけかも知れない。(ikoishy)
【参照】非モテタイムズ
http://himo2.jp/