search
とじる
トップ > トレンド > 『アンネの日記』における贋作疑惑

『アンネの日記』における贋作疑惑

 『アンネの日記』とは、オランダ在住のユダヤ人であるアンネ・フランクという少女が残した、1942年6月2日から1944年8月1日までの期間に書かれた日記である。

 アンネは1929年6月12日に、ドイツ系ユダヤ人としてドイツのプロイセン州で生まれたが、ナチスによるユダヤ人迫害を逃れるためにオランダのアムステルダムへ一家は移住した。オランダがドイツに占領されるとユダヤ人たちは強制収容所へ移送されたが、アンネの父であるオットー・フランクはナチスから逃れるために、彼ら一家はアムステルダムのプリンセンフラハト通り263番地の隠れ家へ移り住んだ。アンネの日記はその隠れ家での約2年間の日記である。

 彼女の家族は父オットーと母エーディト、3年年長の姉にマルゴットがいた。アンネは隠れ家にいる時に、同じく隠れ家に身を寄せていたペーターに恋心を抱いていた。
 彼女は1944年8月4日にゲシュタポによって発見され、彼女は姉のマルゴットと共にベルゲン・ベルゼン強制収容所へ収容されたが、不衛生と栄養失調で腸チフスを患い、1945年3月に僅か15歳の短い人生を終えた。
 彼女の一家で戦後まで生き延びたのは、父親のオットー一人だけであった。オットーの元社員であるミープ・ヒースがアンネの日記を発見し、父親のオットーにこれを渡した。
 オットーは戦争の残酷さと世界平和を訴えるためにこれを出版した。1947年にオランダで最初に出版されると後に各国語に翻訳され、この『アンネの日記』は世界60カ国で出版され、世界的なベストセラーとなった。

 ところで近年、このアンネの日記が贋作ではないかという疑惑が出た。この日記にはボールペンでの記述もあり、彼女の時代にボールペンは存在しなかったというのが主な主張である。父親であるオットーは彼女の日記を出版する際に、大人びた感情の部分などを削除したといわれている。
 この日記の真贋は後に裁判となり、アンネの日記が戦後の贋作だという主張は却下された。インクや紙や糊などから、この日記は紛れもなく1942年から1944年に書かれたものであるということが立証されたのである。
 戦争の悲惨さと、この不幸な時代を充分に生きた彼女の命の証がこの日記に記されている。
(藤原真)

関連記事


トレンド→

 

特集

関連ニュース

ピックアップ

新着ニュース→

もっと見る→

トレンド→

もっと見る→

注目タグ