午前9時前から受付が始まり、「実際の登板が午後3時過ぎ」になった投手も過去にいた。彼らにすれば、調整に十分な時間が与えられたというよりも、6時間近くとなった空き時間を巧く調整できないようだった。今年は意図的にウォーミングアップの時間を遅らせる投手もおり、選手の気持ちを汲んだトライアウトが行われたようだ。
トライアウトのシート打撃3組目、ひと際大きな拍手で迎えられ、マウンドに向かったのは加藤康介投手(37=元阪神)だった。
加藤投手は規定の打者3人を全て凡打に仕留めた後、記者団の囲み取材に応じてくれた。
−−受験選手のなかでは最年長だが?
「年齢は関係ない。ベストを出せるように今日まで練習してきたつもり。もう一度、マウンドに立つ、そう決めてから『まだやれる』と思う部分と、周りの人から辞めろとは言われなかったけど、自分のなかで『もういいんじゃない?』みたいな思いが過ったりして。その葛藤でした。自分がここまでやって来られたのは自分の力だけではないし、たくさんの人に支えてもらいました。そのたくさんの人に支えてもらった以上、自分が勝手に(現役を)辞めるということを決めたくなかった…。辞めるときは野球を続ける場所がなくなったときにすべきだと」
加藤投手はトライアウト会場でもある地元静岡県の出身だ。高校時代の同僚もスタンドに駆けつけてくれたという。プロ野球人生を懸けたマウンドが郷里になったことに対し、「これも何かの縁だと思う」とも話していたが、『戦力外』を通告されたのは初めてではない。オリックス時代の2008年、旧横浜ベイスターズ時代の2010年にも現役続行の危機に立たされた。ベイスターズを解雇された2010年オフは、『左の中継ぎ』を探していた阪神がすぐに声をかけてくれた。翌11年はその期待に応えられなかったが、12年は41試合、13年は61試合に登板してチームにも貢献できた。14年も32試合に投げたが、今年は勤続疲労による右股関節の故障でわずか6試合の登板しかできなかった。
−−他球団にはトライアウトをあえて受けないでオファーを待つと決めたベテランもいたが?
「いや、自分はむしろまだ投げられるところを見せたほうが良いと思ったので。どうなるか分からないけど、基本的にはNPBのオファーを待ちます。それ以外は今の時点では考えられなかった…。本当は阪神に拾ってもらったときに『阪神で骨を埋める』と決めていたんですが、野球を続けたいと思って…。繰り返しになりますが、続けたいという気持ちともうダメかもしれないという思いの葛藤ですよね。実際、マウンドに立って一球を投げるまでは色々考えたけど、終わってみて、本当に気持ちの面ですっきりしました」
−−トライアウトの舞台が地元静岡県の球場になったことについては?
「何かの縁だと思う。今までは向かい風だったけど、追い風になったと思いますし(笑)」
千葉ロッテでプロ野球人生をスタートさせ、オリックス、横浜、阪神と渡り歩いた。「骨を埋める」と決めた阪神が終の住処とはならなかった。しかし、拾ってくれた阪神への恩義と野球を続けたいという葛藤を経て、トライアウトのマウンドに至った。修羅場をいくつも潜ってきたベテランは、こう繰り返した。「野球を続けられたのは、たくさんの人に支えてもらったから。その人たちのためにも、自分が勝手に引退を決められない」と。ベテラン左腕の野球に対する情熱は、ネット裏の12球団編成職員にも届いたはずだ。(スポーツライター・美山和也)