『第1回12球団合同トライアウト』(11月9日)のシート打撃・第3組目に登板した江尻慎太郎(37)は安堵の笑みを浮かべ、そう答えていた。打者4人に対し、奪三振1、投ゴロ1、捕邪飛1、二飛。完璧に抑えてみせた。しかし、江尻がみせたのは『ベテランの配球術』ではない。「気持ちで投げた」と言う。
−−ピッチングを振り返って?
「真っ直ぐを元気良くみせないとダメだと思った。来年38歳になるピッチャーが変化球をたくさん見せるよりも、真っ直ぐで抑えられるところを見せた方がアピールになるじゃないですか」
−−145キロが出たが?
「(今日投げた)球数のうち、3分の1以上は真っ直ぐだったんじゃないですかね? 色々なことができますよというのも見せつつ、(真っ直ぐは)こだわっていた部分なので」
球速が投手の力量をはかる全てではないが、145キロは受験投手の最速数値である。
江尻は2001年、自由獲得枠で日本ハムファイターズに入団。プロ3年目の04年から先発陣の一角を任され、07年以降はリリーフとして活躍してきた。10年シーズン序盤にDeNAにトレード移籍し、12年11月に福岡ソフトバンクへ。今季は若手の頭角もあり、一軍登板は僅か3試合と激減した。チームHPによれば、最後の一軍公式戦登板は8月15日。二軍戦39試合に投げているものの、シーズン後半は若手に出場機会を譲ることの方が多かったようだ。
実戦から遠ざかっていただけに、トライアウトに臨むまでの短い期間、調整も難しかったのではないだろうか。「来て良かった」の言葉には、現役を続けるべきか否かの迷い、短期間でベストコンディションに戻せるかどうかの不安と戦ってきた思いも秘められていたようだ。
トライアウトの受験者の大半は、20代の若手や出場機会に恵まれなかった中堅どころだ。彼らは走好守の長所をアピールすればいいが、ベテランは違う。「まだ体が衰えていない」という“若さ”はもちろんだが、実戦で結果を残せる確証を見せなければならない。救援陣に不安を抱えるチームは今日の江尻に好印象を持ったのではないだろうか。
今年のトライアウトから『選手家族』なるプレス証が設けられた。選手の奥さん、子供、兄弟と思われる人たちがファン非公開のブルペンやベンチ裏を往来していたが、それに批判的な報道陣もいないわけではなかった。
しかし、トライアウト受験選手は退路を断って、この日に臨んでいる。ベテランであれば、球団の通告を黙って受け入れていれば、近い将来のコーチ帰還も可能だったはず。いや、長年の功労に応え、「翌年からフロント入り」なんてこともあったのではないだろうか。トライアウト受験選手には長年の功労を讃えるセレモニーもない。このトライアウトが『引退試合』ということにもなりかねないのだ。そう考えれば、家族の球場入りは当然の配慮ではないだろうか。
受験選手の多くは『戦力外』を通告された後、自身の野球人生を振り返る。「こんなに野球が好きだったのか」と再認識し、トライアウトに挑戦する。NPB復帰が果たされなくても、条件の良くない独立リーグや海外チームからのオファーに応じるのはそのためだ。ベテランに完全燃焼できる機会が与えられることを信じたい。(スポーツライター・美山和也)