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経済偉人伝 早川徳次(シャープ創業者)(76)

 徳次は、テレビが一般から広く支持されるという確信をもって、他社が二の足を踏んでいるテレビの研究を進めた。

 昭和26(1951)年初め、早川電機工業はテレビの本格的試作品を完成している。試作品ではあったが、初の国産テレビだ。しかし世界水準まで技術を向上させるには、海外先進メーカーとの技術提携が不可欠だった。そこで昭和27(1952)年5月、徳次はアメリカのRCA社と特許契約を結ぶべく、笹尾を伴って渡米する。6月、RCA社としては日本市場第一号の契約を済ませた。帰国後、直ちにテレビ製作に入った。
 同年、テレビ放送の標準方式が決定すると、世界各国の特許実施権を取得するための外貨獲得にラジオ・メーカーなど数十社が競いあった。早川電機工業は既にその頃には量産準備を整えていた。

 また、ラジオ部門の技術者にテレビの技術講習会を開催したが、これは約30週間、毎日曜の半日を返上しておこなわれた。その後、一般販売店関係者の技術講習もおこなった。店頭で販売したテレビに故障が起きた場合の応急修理サービスができるようにしておくためである。こうして万全の態勢でテレビ放送開始に望んだ。
 日本で昭和28(1953)年2月1日にテレビ放送が始まった頃、全国の視聴者は866人だった。原価高のため価格が20万円を超え、一般家庭への普及は遠い道のりに思われた。業界も当初の意気込みは期待外れの観があった。しかし徳次は当面の売行きには悲観的ではなかった。量産して値下げすれば必ず売れる、そう確信していた。そして大相撲、プロレス、プロ野球など実況放送の番組が人気を博し、昭和30(1955)年に始まった神武景気もテレビの売行きに拍車をかけた。
 昭和30(1955)年3月20日、NHKは放送開始30年を迎えた。徳次はラジオ生産を通じて放送の普及と事業の発展に寄与したという功績によりNHKから感謝状と金杯を贈られた。NHK30年の歴史は日本のラジオ放送の歴史でもあり、それは徳次が鉱石ラジオセットを製作して以来、歩んだ道と重なるのだった。

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