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G1クライマックスと闘魂三銃士〜平成の新日本プロレス〜

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蝶野正洋

 平成の新日本プロレスの中で、1.4東京ドームとともにヒット企画となったのが『G1クライマックス』(G1)である。

 G1は1991年8月、史上初の両国国技館3連戦の目玉企画として開催されたリーグ戦が始まりだ。当時IWGPヘビー級王者だった藤波辰爾、長州力や、闘魂三銃士の武藤敬司、橋本真也、蝶野正洋、最強外国人レスラースリートップのビッグバン・ベイダー、クラッシャー・バンバン・ビガロ、スコット・ノートンの計8選手が、AとBの2ブロックに分かれて総当たりリーグ戦を行い、各ブロックの最高得点選手が最終日に戦い、優勝者を決めるものだった。

 ちなみに第1回大会の「G1」はシリーズ名ではなく、あくまでもリーグ戦のタイトルにすぎなかった。愛知県体育館大会は『サマーナイト・フィーバーIN名古屋』、両国3連戦は『バイオレント・ストームIN国技館』というシリーズタイトルが別にあった。新日本も当初は両国3連戦のための一発企画であって、企画当初はG1を毎年継続する考えがなかったとされるが、厳選されたメンバーによる激闘の数々はプロレス界にインパクトを与えた。

 また、長州力が全敗を喫するというまさかの展開も話題になった。最終日には、同点で並んだ橋本と蝶野が、決勝進出者決定戦を行い蝶野がSTFで橋本を撃破。決勝では武藤と対戦。武藤は前日、三銃士からピンフォールを許したことがないベイダーからムーンサルトプレスで3カウントを奪い、座布団が乱れこむ金星を挙げていた。

 決勝で蝶野は30分の激戦を繰り広げ、初披露のパワーボムで武藤を撃破。ダークホースと言われた蝶野の優勝により、ファンは前日に続いて座布団を投げに投げ、以降プロレス興行への座布団の貸し出しが禁止となってしまった。エンディングでは、闘魂三銃士がそろい踏みして大会を締めた。新日本プロレスの平成時代の幕開けはG1から始まったと言っても過言ではない。

 第1回の成功を受けた新日本は継続開催を決断する。第2回大会では、アメリカWCW勢が大勢参加。あのスティーブ・オースチンも出場している。この大会にはNWA世界ヘビー級王座の座を懸けたものとなったが、蝶野が連覇に成功し、同王座を獲得している。

 第3回大会では両国7連戦(G1公式戦は中5日)を開催するなど、G1ブランドは、ドーム大会と同じく90年代黄金時代の大きな柱となった。両国5連戦が3連戦に戻り、かつてのMSGリーグ戦や、IWGPのようにシリーズ化していくにつれ、出場メンバーも増加していく。

 最終戦は新日本が厳しい時代にあっても両国を使い続けてきたが、ブシロード傘下となり、V字回復を遂げると黄金時代同様、最終日のチケットが買えない現象が起こった。2014年には新日本初進出となる西武ドーム(メットライフドーム)で決勝戦を開催。これが成功を収め、2015年以降、両国に戻ると最終日のチケットは即日完売するようになった。

 昨年からはG1の時期に両国を使用できない。新日本としては初となる日本武道館3連戦を開催した。初日こそ空席があったが、2日目と最終日は当日券が出ない状況で、新日本人気を見せつけた。今年も改装直前の武道館3連戦の開催が決定している。2012年から翌年1.4東京ドーム大会メインイベントで、IWGPヘビー級王者への挑戦権利証が与えられるようになったことで、より“箔”がついたのは確か。ちなみにこの制度になってからIWGPヘビー級王者はG1で優勝していない。

 来年は東京オリンピック開催のため、都内の主要会場はほぼ使えない。どこで決勝を開催するのか注目が集まる。平成最後のG1覇者は棚橋弘至だったが、令和初の覇者は誰になるのか?6月の大阪城ホール大会が終わると、新日本は令和初のG1モードに突入する。

※文中敬称略

取材・文 / どら増田
写真 / 舩橋諄

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