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巨人が斉藤回避を決断した本当の理由…

 巨人が4年越しの恋人・斎藤佑樹(22=早稲田大学)の1位指名から撤退した。一部報道にもあったが、清武英利球団代表の「多数のスカウトが沢村(拓一=中央大)君を推したので、それを尊重した」なるコメントからしても、斎藤回避は最終決定で間違いなさそうである。しかし、こんな情報もキャッチした。
 「圧倒的多数で沢村が支持されたわけではありません。『今年のビッグ3』である斉藤、沢村、大石(達也=早大)の実力、将来性をもう一度話し合い、ここに何人かの大学生、社会人投手を加え、1位候補を絞り込みました。圧倒的多数で沢村が選ばれたわけではありません」(関係者)
 決断を下す、ギリギリまで斉藤を捨てきれなかったようだ。

 また、巨人は斉藤指名後の制約を恐れたようである。
 96年11月の『第32回ドラフト会議』でのことだ。巨人は應武篤良・早大監督の「教え子への愛情の深さ」に悩まされた。
 同年夏、巨人スカウトは應武監督のもとを訪れ、松中信彦内野手が上位指名候補に入っている旨を伝えた。当時、同監督は社会人・新日鐵君津を指揮していたが、その巨人側からの報告に激昂したという。
 「松中はやれん!」−−。その理由は同年オフに噂されていた清原和博のFA獲得にあった。大型一塁手の補強を考えているチームには、松中を送り出せない。落合博満はどうなるのか(当時)? 松中がはじき出されてしまうではないかと、担当スカウトに食って掛かった。松中は22歳。スローイングにやや難があったとはいえ、プロ入りすればすぐに勝負しなければならない年齢に差しかかっていた。担当スカウトは「清原の獲得は決定ではない。FA権を本当に行使するのかどうかもまだ分からない」と宥めたが、應武監督の松中を思う気持ちは変わらなかった…。
 同監督の「教え子への思い」は他球団も知っていた。
 「ドラフト会議を前後して、清原はFA宣言しました。ダイエーも故・根本陸夫氏が巻き返しを狙い、一次は優勢に傾いたんですが、『松中はどうなるんだ!?』と同監督がダイエー側に真相を確かめたそうです。ダイエーの清原撤退に、同監督の愛情も少なからず影響しています」(在阪球団関係者)

 斎藤佑樹は大学4年間で玄人好みする投手に成長した。剛速球で相手打者を封じ込める、あるいは、絶対的なウイニングショットで相手打線を翻弄させるのではなく、好不調に関係なく、責任イニングを投げきるタイプになった。在京球団スカウトの1人は大学で大きな怪我を1度も経験しなかったタフネスさも指して、「セットアッパーをやらせたら、年間60試合登板は確実。向こう5年間は中継ぎ投手の補強を心配しなくていい」と語っていた。
 「斉藤は投球フォームに関しては頑固なところもあります。投手コーチがどういう指導をするかでプロ野球人生が変わってくる」(前出・同)
 大学3年生から投球フォームを崩しているとの情報もあるだけに、斉藤は来春のキャンプでその修正を強要される。短期間での修正に失敗すれば、「二軍スタート」ということも十分に考えられる。斉藤指名を表明した千葉ロッテ、ヤクルトはどんな教育方針を應武監督に伝えたのか…。巨人が斉藤回避を決めたのは、教育方針など同監督と合致できなかったからだろう。

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