ソフトバンクでの低迷ぶりから、入団テストに合格しただけでも驚きだったが、森監督は「顔さえ見せてくれたら」と語っており、最初から松坂を受け入れるつもりでいたようだ。
「腐っても鯛、『松坂獲得で観客動員数が増えれば』との期待もあったのでしょう。でも、その期待はテスト当日、いきなり裏切られました」(ベテラン記者)
中日はナゴヤ球場を無料開放している。自主トレ中の選手を見たいファンへのサービスだが、入団テストが行われた当日、ナゴヤ球場に駆けつけたファンは約20人。報道陣は約80人だったが、通常の自主トレ日と変わらなかったそうだ。
「松坂では名古屋のお客は呼べない、と言わざるを得ません」(同)
森監督は「そういう道を私が作ってもいいのかなと感じた」とも話していた。そういう道…。老いた元怪物を完全燃焼させてやる花道を用意しているという意味だろう。急浮上してきたのが、“オレ流采配”だ。
「落合博満氏が監督で迎えた最初のシーズンで開幕投手に抜擢されたのは、川崎憲次郎でした。川崎は右肩の故障で3年間投げられず、復帰を目指していた。復帰登板日程を決めることで明確な目標を持たせ、同時に本人にも今の実力を分からせるためでした。勝ち星の計算が立ちにくい投手をシーズン途中で投げさせるよりも、開幕初戦の方が傷口は小さくて済みます。1試合の負けなら、翌日に取り返せます」(球界関係者)
開幕投手・川崎の試合を、森監督は投手コーチとして見ていた。ベテランのプライドにも配慮したチャンスの与え方に、反論できなかった。いや、当時を知る関係者によれば、“目から鱗”の心境だったそうだ。
「川崎の必死さは中日ナインも認めていました。だから、'04年の開幕戦は『何とかしてやりたい』の思いでチームが一丸となり、その結束力が優勝にも繋がりました」(同)
森監督の「松坂は若手のお手本」発言は、'04年の川崎を重ねたものでもあるようだ。しかし、名古屋のファンは'04年の再現を許さないかもしれない。
「森監督は西武出身。他に、土井正博打撃コーチ、奈良原浩内野守備走塁コーチ、投手コーチから渉外担当にまわったデニー友利氏も元西武です。松坂に温情を見せたのは西武出身が多いからと言われても反論できません。中日ファンは地元意識が強いですし…」(同)
中日は、先発投手が揃いつつある。開幕戦を松坂で落としても、ローテーションには何の影響もなく、「何とかしてやろう」の思いでチームがまとまれば、森監督の狙いは的中したことになる。しかし、「中日ライオンズ」を見せられるファンの悲鳴を首脳陣はどう考えるのだろうか。