三田の確立されたキャラクターが笑いの原動力である。今回は末娘・希衣の幼稚園のお遊戯会の練習のために魔女に扮する。普段は無表情で家事をする三田が魔女の姿をするだけで笑いがこみ上げてくる。これだけで笑いをとれるのだから、『家政婦のミタ』は得である。これは容易なことではない。
コメディでは韓国ドラマが日本を席巻しているが、韓国ドラマの笑いの要因は常識を突き抜けたキャラクターのもたらす騒動である。古くは映画になるが、『猟奇的な彼女』がある。これは突き抜けた個性を許容する韓国社会で生まれたから面白さが成り立つ。日本で生まれたならば単なる暴力女かトラウマを抱えた可哀想な女性とステレオタイプになってしまうだろう。
同様に日本で突き抜けたキャラクターを演出しようとすると嘘くさくなる。実際、ベストセラーをドラマ化した『謎解きはディナーのあとで』は富豪令嬢の刑事に毒舌執事とユニークなキャラクターを描くが、まばたきや瞬間移動など過剰な演出が、わざとらしさを生んでいる。
『家政婦のミタ』は日本ドラマの魅力を見直す契機になるが、『家政婦のミタ』も韓国ドラマの手法を上手に取り入れている。登場人物の空想を実際に起きていることのように演出する。しかも、その空想シーンを前回の次回予告に使用し、視聴者を前回からミスリーディングさせる。韓流ブームに対しては批判的な意見も少なくないが、外国文化の流入は自国文化を豊かにする。
祖父・結城義之(平泉成)との関係改善が残っているものの、今回で阿須田家の問題は一段落し、次回から三田の過去が明らかにされる。感情を出さない三田は大きな謎である。有能なスーパー家政婦ぶりとあいまって、実は人間ではないのではないかとの予想も出たほどである。その三田の謎が明かされることは視聴者の期待に応える展開であるが、不安もある。
既に三田は夫と息子を亡くし、そのことで義母から責められていることが明かされた。家族を失った自責の念から笑わなくなったという展開は想像可能な範囲である。これによって三田は普通の人間になってしまう。義母の言葉に従って笑わないならば、他人に盲従するつまらない人間になる。三田のミステリアスさがなくなることはドラマの魅力を色あせさせる危険がある。
また、三田は普通の家政婦以上の能力を有するスーパー家政婦である。AKB48のメンバー全員の名前を言え、数学の難問を解くこともできる。それは家族の死では説明にならない。三田は家政婦として当然の能力と説明することもあるが、尋常な能力ではない。ドラマとしてはスーパー家政婦である説明が欲しいところである。秋クール最大の話題作となった『家政婦のミタ』であるが、三田の過去が明かされる後半が正念場になる。
(林田力)