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選挙資金を貢いだ愛人も! 内田裕也さんのロックな女性関係【芸能界“ドロ沼”不倫ファイル】

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内田裕也さん

 3月17日に79歳で永眠したミュージシャン・内田裕也さんのお別れ会『内田裕也 Rock'n Roll葬』が3日に東京・青山葬儀所で執り行われ、訪れた弔問客は1700人にも上った。会場では、「僕は今、あの世にいます」という内田さんの肉声が流れ、どよめきの声が上がった。

 内田さんというと、1959年に日劇の『ウエスタンカーニバル』でデビューして以降、ロックンローラーとして名をとどろかせた。73年10月には、昨年9月に他界した女優の樹木希林さんと結婚。だが、別居43年という型破りな夫婦関係に加えて、次から次へと飛び出す逸話が常々メディアの好物となった。

 そんな夫婦の喪主を務めたのが1976年2月に生まれた、エッセイストで俳優・本木雅弘の妻である内田也哉子だ。也哉子は謝辞で内田さんとの関係を「分かり得ない」と表現し、「ここまでともに過ごした時間の合計が、数週間にも満たない」と明かした。さらに、「折々に入れ替わる父の恋人たち」についても言及したのだ。

 その通り、これまで内田さんには、不貞関係の相手が数多くいたのだ。特に印象深かったのは、国際派女優で知られた島田陽子との情事である。島田は、1980年の米国制作ドラマ『将軍 SHOGUN』に出演し、ゴールデンアロー賞を受賞。その後、島田は日本とニューヨークを往復する生活を送っていたが、88年にハワイに所有していたコンドミニアムで、内田さんとの密会を『FRIDAY』(講談社)に報じられ不倫が発覚した。

 内田さんは当時、稼ぎが少ないながらも後輩のみならず業界関係者に対し、常に羽振りのいい姿を見せつけていたという。それは島田の懐が出所だったようだ。にもかかわらず、別れ話を切り出してきた島田の伊豆の別荘に内田さんが乗り込み、島田を刃物で追い回すという騒動を起こしている。

 それでも島田は、とことん内田さんに尽くした。91年に東京都知事選に出馬した内田さんの選挙資金の大半を島田が援助したと言われている。だが、落選後に2人は破局し、島田には莫大な借金が残った。全ての財産を投げ打っても借金返済に追いつかない島田は、ついに57歳の老体をさらし、AV界へ追いやられた。

 さらに、2011年5月には、交際していた航空会社の女性客室乗務員宅に脅迫文章を投函。女性宅の鍵を業者に依頼して無断で付け替え、室内に侵入した疑いで内田さんは逮捕された。被害女性とは一時、同棲もしていたというが、内田さんの暴力に悩んでいた女性は、警察にたびたび相談していたという。

 女性から別れ話を切り出されたが、内田さんは応じなかったという。女性が身を寄せていた都内の実家にまで押しかけ、テーブルをひっくり返すなどの報復行為に及んだ内田さんに、警察が「ストーカー規制法に触れる」と注意していた矢先の事件だった。

 そして、最後に内田さんを看取ったのは、16年前から内田さんのマネージャーを務めていたAさん。前述の事件釈放直後あたりから、新たな内田さんの不倫疑惑がマスコミの間で話題になっていたという。だが、当時の樹木さんは、そんなAさんを称賛し感謝を口にしていたという。

 生前、最愛の夫を残して、自分が先に逝ってしまうと察した樹木さんは亡くなる直前、最も信頼できるAさんに内田さんのことを託していたようだ。樹木さんの切なる願いを聞き入れ、Aさんは最後の最後まで内田さんに尽くし続けたのだ。この常識を超えた三角関係には、計り知れない愛情が存分に伝わってくる。

 内田さんは、自身の葬送について生前から「メジャーに盛大に!」などと要望していたという。そして、也哉子が最後に内田さんに捧げたわずか3行のメッセージは、これまで名ばかりの父親に対して一言では言い表せない複雑な想いが込められ、弔問客のみならず、多くの人々の心に響いた。

 天真爛漫な稀代のロックンローラーは、最後に「我が人生に悔いなし」という言葉を口にしたかったのではないだろうか。

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