内田さんはロックミュージシャンばかりではなく、俳優、映画監督とマルチな活動を見せたことで知られる。中でも、1991年に出馬した東京都知事選は話題となった。選挙活動の様子の一部は、自身が主演、企画、脚本を手がけた映画『魚からダイオキシン!!』(監督はこれまたロックミュージシャンの宇崎竜童)に取り上げられている。伝説の都知事選を振り返ってみたい。
1991年に東京都知事選は、3期を務めた現職の鈴木俊一都知事に対抗馬が挑む形であった。鈴木知事は出馬時で80歳と高齢であり、4選の是非が問われた。対立候補として登場したのが元NHKのニュースキャスターの磯村尚徳氏であった。彼を擁立したのは当時自民党幹事長として辣腕をふるっていた小沢一郎氏であった。磯村氏より前に目玉候補として注目を集めていたのが、当時スポーツ平和党で国会議員になっていたアントニオ猪木であった。ただ、福田赳夫氏や森喜朗氏の説得により自民党系の候補は磯村氏に一本化されることになった。
これに納得がいなかったのが内田さんであった。自ら出馬を表明し、政見放送は、ほぼすべて英語で行った。自身のロックンロール体験を語り、「尊敬する有名なプロレスラーが出なかったので自分が出ることにした」いったスピーチを行った。冒頭はジョン・レノンの『パワー・トゥ・ザ・ピープル』の一部をアカペラで歌い、最後には頭脳警察の『コミック雑誌なんか要らない』も披露された。
気になる投票結果は、5万4654票を集めての候補者16人中5位。これより上は特定の政党の支持を受けた候補であるため、きちっと結果を残す破天荒パフォーマンスであったといえるだろう。内田裕也さんのご冥福をお祈りしたい。