逮捕された両親の弁護人が「殺人や死体損壊について、両親は一切共謀していない」とコメントを出したのだ。
これがどういうことかというと、コメントを出したのが【両親の弁護人】であり、親子3人の弁護人ではないということだ。
この弁護人がいうには、マスコミに母親の浩子容疑者が「娘の【犯行】を止めたかったが、止められなかった」と報道されたが、そのような事実は一切なく、修氏と浩子氏は瑠奈氏が事件を起こすとは全く想像しておらず、一切共謀していないとのこと。
また両親の弁護人によると両親は「被害男性と遊びに行くと聞いていた」とのこと。
では父親の修容疑者は、犯行当日に一緒にナイフやノコギリを買いにいっているが、それについては「娘は趣味でナイフを集めていた。木やベニヤ板を切るのが好きで買い与えていた」と、犯行に使われるとは思ってもいなかったということを語っている。
事実、瑠奈容疑者の部屋や自宅からナイフなど刃物約20本が押収されているから、ナイフが趣味というのは本当なのだろう。
親子が逮捕された罪は『死体遺棄』『死体損壊』『死体領得(死体などを支配下に置くこと)』そして『殺人』だ。
もし両親が本当に「まったく娘が人を殺すとは思いもしなかった」のなら『殺人の共謀罪』はまぬがれる。共謀罪は殺人について主犯格並みに知っており、関与していたということだ。ところが「まったく知らなかった」となると、この共謀罪は成立しない。両親は共犯ではないということになる。
つまり両親が何を言いたいかというと「やったのは娘1人だけだ。我々は関係ないんだ」ということ。
これまで娘を溺愛していた両親は、ここに来て娘を見捨てたようだ。
もし瑠奈容疑者1人がこの猟奇犯罪を考え、被害者に後ろ手錠をし、自分は返り血を浴びないためにレインコートを着て浴室で襲い、首を切り落とし、証拠が一切残らないように血を洗い流し、証拠隠滅をしたとすれば、いわば完全犯罪を狙ったことになる。それだけ瑠奈容疑者の罪は重くなる。
さて、両親の弁護人に瑠奈容疑者が入っていないとすると、瑠奈容疑者は別の弁護人を立てているのだろう。すると裁判で弁護人同士が対立をすることになる。
ただ両親が、この犯行についてまったく知らなかったというのは、いまのところ信じがたい。父親は被害者と面識があり、母親は被害者の生首と一カ月近く暮らしているのだ。
やがて起訴され裁判になるのだろうが、そのとき両親の弁護人は「共謀していない」と主張するだろう。瑠奈容疑者の弁護人は、それが事実でないとしたら、親子の罪の擦り付け合いという裁判になるかも知れない。
プロフィール
巨椋修(おぐらおさむ)
作家、漫画家。22歳で漫画家デビュー、35歳で作家デビュー、42歳で映画監督。社会問題、歴史、宗教、政治、経済についての執筆が多い。
2004年、富山大学講師。 2008~2009年、JR東海新幹線女性運転士・車掌の護身術講師。陽明門護身拳法5段。