政治家にまつわる話として、木原氏のように“隠し子”の存在は少なくないともいえる。なかでも自身と妻の没後の刊行を条件とした自伝を書き残していた作家で元東京都知事・石原慎太郎さん(2022年2月死去)は、幼年時代をはじめ、文学や政治のほかに女性遍歴に関して包み隠さず記した「『私』という男の生涯」(幻冬舎)で、愛人と“隠し子”の存在をつづっている。
「石原さんは1995年、国会在職25年の表彰を機に62歳で衆院議員を辞職しています。幻冬舎によれば、原稿は石原さんが65歳になる前、“突然、ただ私自身のためにと思って”書き出したと説明しています。自著では、これまでを振り返り妻の典子さん(2022年3月死去)への感謝を記している一方で、自分が『好色』だったと表現し、複数の愛人や婚外子の存在も明かしたのです」(芸能ライター)
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自著によると、石原さんの婚外恋愛は一つや二つではないといい、婚外子の母となる女性は東京・銀座のクラブのホステスとのこと。石原さんはあらかじめ、女性を紹介してくれた知人から「金輪際、あの女とは手を切ってください。危ない予感がします」と忠告されたというが、「無視した」とつづってある。結局、女性は妊娠し、男児を出産。当時、石原さんは「この件は妻に打ち明けざるを得なかった」としている。
「石原さんは自身が49歳のとき、22歳だった女性と交際を始めたよう。妊娠が発覚した女性は当時、石原さんが泊まっていたホテルに押しかけ、『どうしてくれるのよ』とドアをたたき続けたが、石原さんは応じなかったといいます。その後は、石原プロの幹部が店のママと対応を協議し、女性は24歳で出産しましたが、石原さんは“我が子”に会うことはなかったとのこと。ですが、石原さんは子どもが11歳になった1994年に認知したといい、1996年に『FRIDAY』(講談社)が女性との関係を愛人とスクープし、世に知れ渡るのです。そして1999年、東京都知事に当選後、愛人と婚外子の存在について問われた石原さんは『私にとって若気の至りというか、不徳というか』と回答し、報道を認めました」(前出・同)
自著では、石原さんが女性に養育費として月々かなりの金を払い続けたと明かし、「その屈辱的な責任を妻はよく果たしてくれたと思う」と妻への謝意を表している。だがその一方で、女性の妊娠中に別の愛人が妊娠したことや都知事時代に45歳も若いファンに言い寄られ、関係を持ってしまったこともオープンにしている。
2012年11月、ニュースサイト『J-CASTテレビウォッチ』では『週刊新潮』(新潮社)が30歳になったという“隠し子”について報じた記事について触れている。記事によると、石原さんが「あなたたち(週刊新潮)のおかげで息子から連絡が来て、今度、初めて会うことにしましたよ」と話していたという。また、同誌には女性の同僚ホステスが“隠し子”について証言しており、「子どもは身長が高く、見た目は慎太郎さんよりもどちらかというと裕次郎さん似のイケメン」とのようだ。
さらに、同誌は女性の父親に話を聞いたとし、「孫(隠し子)はもう30歳になった。これまでアルバイトをあちこち転々としていたけれど、今年(2012年)2月、『就職したよ』って電話を寄越した」という。“隠し子”は「就職するにあたって、あちら(石原さん)の厄介にはなりたくない」と祖父に告げていたという。
同誌の取材がきっかけで“我が子”との対面を果たすことになった石原さんが何と声をかけたのかは不明である。石原さんは同著の締めくくりに「私の人生はなんの恩寵(おんちょう)あってか、愚行も含めてかなり恵まれたものだった」と生涯を回顧。石原さんが旅立ったわずか1カ月後に典子さんが後を追っているが、石原さんが人生を謳歌できたのも妻あってのことであろう。