広末の騒動を受け、13日のニュースサイト『smartFLASH』では「ベストマザー賞」の廃止論について取り上げている。広末は今年5月、一般社団法人日本マザーズ協会が主催する授賞式に、受賞者として登壇。だが、近年は歴代受賞者たちのお騒がせ率の高さから逆風にさらされており、ネット上では「ベストマザーの呪い」とまでいわれている。
そのうちの1人、モデル・冨永愛も2012年の受賞後に不倫騒動でにぎわせた。冨永は17歳でアメリカに渡り、パリコレなど世界を舞台にスーパーモデルとして活躍。私生活では2004年にフランス在住の日本人パティシエと結婚して長男でモデル・冨永章胤を出産するも2009年に離婚しシングルマザーに。また、2012年には俳優の塩谷瞬と料理研究家・園山真希絵との“三角関係”が大きく報じられ注目の的となった。
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2015年3月、冨永は歌手・長渕剛との”三角関係“を同誌にすっぱ抜かれた。記事によると、同年2月の深夜1時に長渕の自宅前で帰宅した2人を同誌の記者が直撃。記者は、互いの自宅を頻繁に行き来する2人の関係について問うと、長渕はあろうことか記者を自宅に招き入れ、1時間に及ぶ“釈明”インタビューに応じたのだ。
「冨永は、2014年10月に自著『Ai 愛なんて 大っ嫌い』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)を発売。同著は、冨永が師と仰ぐ長渕のプロデュースです。とはいえ、以前から2人は東京・お台場のホテルのスイートを利用しているといったうわさが流れ、これに『週刊文春』は2人を追っていたといいます。記事では、連日のように深夜、長渕邸へ現れる冨永の姿が目撃されていたといいますが、長渕の家にはいるはずの妻で女優・志穂美悦子の存在はなかったとのこと」 (芸能ライター)
同著では、長渕との関係についてあくまで師弟関係と強調していた冨永。だが、2015年2月の深夜、冨永が運転する車で長渕が自宅近くのコインパーキングに来たところを同誌が直撃する。これに長渕は、冨永宅で章胤と話していたと答え、冨永を帰したその後、記者を「家で話そう」と豪邸に招じ入れ、自身の関係者も同席させたとしている。
長渕は、冨永との関係について「いろいろ言われているのはね、こちらも覚悟してますからね。何言われても、色目で見られてもいいんだけど、ないことはないんです」と男女の仲を完全否定したという。また、冨永とは2011年末に知り合い、冨永の母や息子を含めた家族ぐるみの付き合いと主張し、特に当時10歳だった章胤については「俺とお前とは男同士の付き合いだからな」と空手の道場に通わすなど、子育てに深く関わっていたと説明。同誌によると、長渕は額に汗を浮かべながら60分もの弁明を繰り広げたようだ。また、志穂美の不在については、右脚の前十字靱帯断裂などで入院していたという。
だが、長渕にある疑惑が浮上する。2015年3月、ニュースサイト『LITERA』は長渕が『女性自身』(光文社)を恫喝していたと報じたのだ。前出『週刊文春』でも、以前に2人を張り込んでいたある女性誌が長渕に見つかり、記事をツブされたとも伝えられている。
同サイトによれば、都内の寿司店で2人が一緒に食事をしている姿をキャッチするも、「てめえ、この野郎、何、撮ってやがる」と、記者が長渕に激高されたという。さらに、長渕は「これから会社に連れて行って編集長に会わせろ!」と恫喝したといい、後日、編集長が長渕宅へ謝罪に赴き、「この記事は掲載されることなくお蔵入りした」と報じている。
さらに後日、病院にいる志穗美から『週刊文春』に電話があり、改めて不倫関係を否定したというのだ。結果的に、志穂美が尻拭いする形となり、騒動は鎮火した。
真相は藪の中だが、一時期は長渕を章胤が“父親代わり”として慕ったとされている。今となっては章胤もモデルとして活躍しているが、長渕の影響も少なからずあることだろう。