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大黒摩季、ヒット曲歌詞通りの人生? 夫の不倫を否認、生まれてきた子どもの幸せを願う【芸能界“ドロ沼”不倫ファイル】

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大黒摩季の公式ツイッターより https://twitter.com/m_ohguro

 歌手の大黒摩季がプロ野球・北海道日本ハムファイターズのホームゲーム5試合で開催する「北海道シリーズ2022 WE LOVE HOKKAIDO」の最終日である24日、スペシャル・ミニライブの開催が決定した。大黒は、北海道札幌市出身。今回で3度目となる出演に、大黒は球団を通じて「道産子としてはこの上ない喜び」とコメントした。自身のSNSにも出演を心待ちにする声が寄せられている。

 大黒は、1992年にデビュー。同年9月発売のセカンドシングル「DA・KA・RA」をはじめとする数々の楽曲がミリオンセラーを記録し、トップアーティストの仲間入りを果たす。私生活では2003年11月、友人の紹介で知り合った会社員男性と結婚。だが2019年12月、同年4月に離婚していたことを発表し、大きな反響が寄せられた。

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 「結婚後、初の公の場となった2003年12月、『TOKYO FM渋谷スペイン坂スタジオ』の番組に生出演した大黒は結婚指輪を光らせ、『私の歌とかに興味ないんですよ。歌をゆっくり聴く暇もなく働いている人』と夫について語り、『知り合った時も“アーティスト?あぁ、画家ですか”って言われましたから』と語っていました」(芸能ライター)

 当時、大黒は子どもについて「もし子どもが一人だったら歌手にはしたくない」と希望を明かした上で、「老後の面倒をちゃんとみてほしいですから。できれば男の子も女の子もほしい」と笑顔で将来設計を語っていた。

 その一方で、大黒は以前に発覚した子宮疾患が深刻化し2010年、子宮疾患の治療と不妊治療を理由に無期限の活動休止を発表。2019年12月、自身の離婚を公式サイトで発表した際に病気の治療について「ホルモン治療などの薬物治療と手術を行いましたが最終的に子宮全摘出となり、2度目の手術後病気は完治しました」と告白し、2016年夏からの活動再開後は「度重なる治療により変化させすぎた身体の限界と年齢を鑑みて、2017年秋頃すべての不妊治療を終える決断をしました」と詳細を明かした。

 また、離婚の理由について長い不妊治療も子どもに恵まれず「消えない罪意識を背負いながら2人で生きてゆくよりも、1人になって彼の幸せを純粋に応援して行くほうが潔い」と語った。

 不妊治療終了当初、夫は大黒と共に生きようとしていたが話し合いを続け、2018年初頭離婚に合意したという。また、元夫の再婚と子どもの誕生も報告した。

 そのうえで、これまで離婚を公表しなかった理由について「彼と彼の家族を世間の干渉から守りたかったから」とし、「(夫に)子どもを授かったことを聞き、むしろ届けを出し受理されたらいずれメディアの皆様が気づくことにもなりますので、(流産の)経験上最も不安定な妊娠時期にいらぬストレスをかけるべきではないと、出産後時期をみて」と説明。そして、「無事子どもも生まれ、彼の家庭も安定してきたので、2019年4月頃に離婚届けを提出」と包み隠さず明かし、1993年4月発売の自身のヒット曲になぞらえて「正に『別れましょう私から消えましょうあなたから』を自ら地で生き」と自虐を交えた。

 2019年12月、情報番組『とくダネ!』(フジテレビ系)に生出演した大黒は、「おちび(元夫の子ども)は、大黒摩季おばちゃんなんか知らないんだから。その人のあおりで10年後、この記事を見て不倫だなんだというところで生まれたみたいなのを見たら、誰がその傷を負えるんですか?って思うから、だったら私は引き受けるって」と、元夫の子どもに寄り添った。

 そして、「私がはんこ押してお互いに交わしたその日が離婚の日」とし、「不倫ではない、普通に自然な柔らかい恋愛をして普通に生まれた子。そういう子を責めないで」とくぎを刺した。

 今年11月、デビュー30周年記念アルバム『BACK BEATs #30th Anniversary -SPARKLE-』がリリースされる。今後のさらなる飛躍に期待したい。

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