昭和中期の日本では、貧しい家庭を支えるためアルバイトをする小中学生も少なくなかった。この事件は、アルバイトの中学生が引き起こした悲劇である。
>>死亡者1人、就職組VS進学組が中学校で刃物を持ち大乱闘!【衝撃の未成年犯罪事件簿】<<
1962(昭和37年)年4月、埼玉県某市の農家の物置で、中学2年生のAの死体が発見された。Aは頭を金づちのようなものでめった打ちにされており、無残な姿になっていた。
警察署はAに強い恨みを持つ者の犯行とみて捜査を開始。Aと同じ中学校に通う同級生のBを参考人として呼び、Aの人となりや性格など話を聞いていた。すると、Bの様子が突然おかしくなった。警察が詳しく話を聞いたところ「A君を殺害したのは自分である」と自供した。
2人は学校でも雑談をするなど、仲良く過ごしていたという。だが殺害当日、AがBに放ったある一言が、彼らの仲を引き裂くこととなった。
A、Bはともに家計を助けるため登校前、放課後にアルバイトをしていた。Aは新聞配達、Bは牛乳配達をしていたが、ある日AがBに向かって「(新聞配達に比べて)牛乳配達は給料が安いだろう」とからかったという。
一生懸命プライドを持って牛乳配達の仕事に取り組んでいたBは、Aの発言によほど腹を立てたのだろうか。「懲らしめてやろう」とAの帰り道を襲うことにし、金づちでめった打ちにしたところ死亡してしまったという。
義務教育を終えていない勤労少年がたくさんいた昭和中期ならではの少年犯罪である。