1960(昭和35)年2月、福岡県のある中学校で生徒13人が教室の中で乱闘騒ぎを起こし、1人が死亡、2人がけがをする事件があった。
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生徒たちは素手で殴り合っていたわけではなく、それぞれ手に武器を持っていた。木刀や竹ヤリなど学生でも簡単に手に入るものから、匕首(つばのない短刀)や自転車のチェーン、ノコギリなど殺傷能力の高いものまで所持していたという。
彼らが何故、乱闘を起こしたのか、それは壮絶な「派閥争い」にあったという。
乱闘を起こしたのは全員が中学3年生。うち5人が春から高校へ通う「進学グループ」。残り8人が卒業後に仕事を始める「就職グループ」に分かれていた。
両グループは日頃から感情的に対立することが多く、特に就職グループは進学できないことに引け目を感じることが多かった。事件の数日前には就職グループの1人が進学グループの1人を殴りつける出来事があり、対立は決定的になった。
そして、教諭のいない2時限目の自習時間に、お互いの感情が爆発し決闘が始まってしまった。
彼らはいつか始まるであろう決闘のために用意していた木刀などの武器を持ち、椅子や机などを投げつけた。騒動を聞きつけた教諭が静止するまで10分間にわたり乱闘が続いた。
なお、亡くなったのは進学グループに属する1人で、飛んできた椅子が頭を直撃し、気を失い入院。その日のうちに死亡したという。
当時、中学校を出てすぐに就職する若者の中には、家庭の事情から進学できなかった人もいた。対立構造が生まれやすい背景もあったと思われるが、なんともやり切れない痛ましい事故であった。