横浜市長選には、前国家公安委員長で衆議院議員の小此木八郎氏のほか、コロナ識者としても知られる元横浜市立大学医学部教授の山中竹春氏、横浜市議会議員の太田正孝氏、元衆議院議員の福田峰之氏などが立候補を表明している。さらに、現職の林文子氏の出馬も取り沙汰されている。
大きな焦点となっているのが、IR(カジノを含む複合型リゾート施設)誘致であり、田中氏は中止派の急先鋒となる見込みだ。
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このほか田中氏は、横浜市が抱える課題として、保育園に待機児童と別に存在する「保留児童」や、中学校へ学校給食ではなく弁当が支給されている「ハマ弁」に積極的な取り組みを見せている。
政治家経験者で、なおかつ知名度も高い田中氏ならば、選挙には有利なように見えるが、必ずしもそうとは限らない。何より、これまでの選挙ではほとんどが不利な状況からの戦いを見せてきた。
政治家としての田中氏のキャリアのスタートとなったのは、2000年の長野県知事選挙だ。長野県出身の田中氏が出馬し、対抗馬となる池田典隆氏は前副知事を務めた人物だった。実質的な「オール与党」の県政に対し、戦いを挑んだ形だ。有力な援軍となったのが、地元の有力企業の人物たちだった。ただ、企業単位ではなく、「あくまでも一個人としての支援」を広げ、その輪が大きくなっていった。
こうした市民の繋がりが持つ力は、2009年の衆議院議員選挙でも発揮される。この選挙では民主党が大勝し、政権交代を巻き起こしたが、田中氏は、参議院議員からの鞍替えで兵庫8区から出馬した。長野県出身、東京都在住の田中氏がなぜ兵庫県から選挙に出たのか。田中氏は1995年に起こった阪神・淡路大震災を受けて、現地にスクーターで入りボランティア活動を行った。その後も、神戸空港の建設を巡る市民投票を実現させる運動を行っており、その地縁からの出馬だったのだろう。
この選挙区には、公明党の大物議員である冬柴鐵三氏が出馬していた。さらに、田中氏は現在見られる野党統一候補ではなく、共産党と社民党から別の候補が出馬していた。しかし、2000票強と僅かの差で田中氏が辛くも勝利した。そこにあったのが、市民との地道な繋がりだったとも言えるだろう。
田中氏が今回の選挙で、そうした力を発揮するのかは気になるところだ。