大谷は、初代タイガーマスクが新日本プロレスを離れた後の1992年にデビューし、後に“第三世代”と呼ばれる黄金世代の中でジュニアヘビー級の一時代を築き、ジュニア七冠王の達成や、盟友・高岩竜一とともに初代IWGPジュニアタッグ王座を獲得するなど活躍。その後、自身が付き人を務めていた橋本真也さんに追随してプロレスリングZERO-ONEに移籍。橋本真也さんが逝去されてからはZERO1-MAX、ZERO1を率いて奮闘しており、靖国神社での奉納プロレスを復活させたり、日本全国を回ってチャリティープロレスを行う『一般社団法人あなたのレスラーズ』を設立したりと大谷のプロレス界への貢献を挙げれば枚挙にいとまがない。そのプロレスに対する真摯な姿勢と熱い魂には誰もが一目置いている。
大谷は初代タイガーについて、「今の若いレスラーは分からないけど、恐らく我々世代のレスラーはもうみぃ~んな憧れていた存在ですよ。アントニオ猪木&タイガーマスクってのは、多分みんな憧れて通ってきた道。プロレスラーとして何年やってても、近付いただけで感じるオーラとかに圧倒されます。実は僕、この団体の旗揚げ戦の時に初代タイガーマスクさんとやらせていただいているんですよ(旗揚げ戦では佐山サトルが「スーパー・タイガー」の名で出場)。それまでは佐山さんとあんまり接点がなかったんですけど、なぜかあの時指名されたんですよね。『大谷晋二郎とやりたい』と。願ってもないと思ってお受けして、リングに上って対角線に立った時に、目の前にタイガーマスクがいて……。本当にもう、夢を見てるみたいでしたね。『あの時見たタイガーマスクが目の前にいる!そして僕がこれから闘うんだ!』って……。僕が何年キャリアを積んでも、いつまでもいつまでも憧れの人ですね。そういう存在です」と目を輝かせた。
最後に「今ホントに大変な世の中で、皆さんは本当に毎日頑張ってると思うんです。大変な毎日をいろいろなものを我慢しながら頑張ってる。我々プロレスラーも色んなものを制限されていますけど、プロレスラーが伝えられることって僕はあると信じてるし、プロレスの試合が伝えられることって絶対あると思ってるんで、このストロングスタイルプロレスの大会でも、他の選手も同じでしょうけど、僕は一生懸命プロレスをしますんで!一生懸命なプロレスから『負けないぞ!』とか『何度でも立ち上がるんだ!』って気持ちを感じてもらいたいですね!お客さんも今は声もあんまり出せないし、いろんな制限もあるかもしれないけど、一生懸命プロレスをするんで、ご来場してくださったお客様には、声を出せないかもしれないけど感情のままに、プロレスを楽しんで欲しいです!」と語った大谷。かつてのライバルたちとの再会はかなり熱を与えてくれるだろう。
(どら増田)