女優の黒木瞳が24日、福岡県内を走る予定だった東京五輪の聖火リレーランナーの辞退を発表。同県によれば、沿道に集まる観衆による新型コロナウイルスの感染拡大を懸念した黒木サイドの意見を尊重したそうだ。これまで、多くの芸能人が聖火リレーランナーを辞退しているが、その理由は「スケジュールの都合」としていた。黒木は自身の都合による辞退であるとはせず、周囲への影響を配慮した計らいがネット上で話題となり、大きな反響を集めた。
黒木は同県八女市(旧:八女郡)出身。高校卒業後の1979年4月、両親に内緒で受験した高倍率の宝塚音楽学校に入学した。81年5月、月組に配属され、トップ女優として絶大な人気を博すも85年9月に退団し、芸能界への転身を図った。
だが、当時の黒木はまだ無名にすぎなかった。そんな矢先の1986年1月、『FOCUS』(新潮社、現在は休刊)が、黒木と“元祖プレーボーイ”と名を馳せた当時50歳の故・岡田眞澄さんとの「赤坂プリンスホテルでの逢瀬」を激写。大スターだった岡田さんの不倫疑惑に世間の関心が集まったことは言うまでもない。
「実は、同誌が2人の密会をかぎつけたのではなく、事前に編集部に一本のタレコミ電話があったといいます。その電話口はかわいらしい女性の声で、『岡田と黒木が密会する。ホテルの部屋番号は3711号室』と詳細を知らせてきたよう。ところが、編集部内では『黒木瞳?誰それ』という反応ばかりで、ようやく“宝塚をやめたばかりの25歳の無名女優”と悟ったという次元でした」(芸能ライター)
>>根っからのオトコ好きにファンキー加藤はハメられた? 1億円の養育費で友情も継続か【芸能界“ドロ沼”不倫ファイル】<<
同誌は、タレコミ電話の通りにカメラマンと記者の2人を密会部屋の隣と向かいの部屋に配置したという。その夜、パーティー帰りの岡田さんは寄り添う小柄な女性を従え入室するのを確認した。すると、部屋から「ショーコ、愛してるよ!」と岡田さんの声が漏れ、張り込んでいた同誌は「ショーコって誰だ?瞳じゃないのか?」と疑問を抱いたようだ。
そして、翌日の正午頃、岡田さんが退室した後に薄めのサングラスにルイ・ヴィトンのバッグをまとった女性が現れたという。その際、記者が女性の背後から「黒木さん?」と声をかけると、「はい?」と振り向いたようで、その瞬間にシャッターを切ったショットが掲載された。
記者に「黒木瞳さんですね?」と直撃された女性は「取材は事務所を通して」と冷静に対応し、エレベーターの中に消えたという。すると、その声を聞いたカメラマンは「今の女の声、タレコミ電話の声とソックリじゃないか!」と確信。岡田さんとの密会は黒木自らが仕組んだ“計画”という疑惑が浮上した。
「黒木は己の容姿を頼りに、芸能界でのし上がるための足場をこしらえたともっぱらの噂でした。部屋で岡田さんが口にしていた『ショーコ』という名前も黒木の本名である『昭子』。不貞の真偽は不明ですが、岡田さんは妻帯者であったことから不倫が疑われたのです。記事が出た後、黒木は『岡田さんには仕事やプライベートなことで相談にのってもらっている』と釈明し、『明け方まで話しこんでしまって』と不倫を否定していました」(前出・同)
黒木は同年公開の映画『化身』で初主演に抜擢され、全裸を披露。“宝塚の名を汚した”などと批判の声もあったが、その後の活躍はご存じの通りだ。
その後、2人の進展はないとみられ、黒木は1990年に一般人男性と結婚。98年に長女の出産を公表した。
このスキャンダルが黒木の知名度を上げるきっかけとなったが、もし電話口の女性が黒木だったとしたら、大したタマとしか言いようがない。