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マー君の調整遅れは“中6日登板”が原因? 震災から10年の今季、命運を握るのは対巨人戦か

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田中将大

 田中将大投手が東日本大震災から10年の節目となる3月11日を前に“熱い思い”を語った。同日に合わせ、メディアが共同で申し込んだ企画取材ではあるが、田中の決意、覚悟がひしひしと伝わってきた。

 「調整はやや遅れていると思います。メジャーリーグとは異なる日本の公式球、マウンドの硬さ、登板間隔など、完全にクリアされていません。でも、そんなことは言っていられない、被災地の皆さんのためにも勝ちたいとする思いが語られました」(ベテラン記者)

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 次回登板は、13日のDeNA戦。チーム関係者によれば、20日の巨人戦に投げて、開幕第2戦となる3月27日の北海道日本ハム戦に臨むという。

 と言うことは、20日の巨人戦が「試金石」となる。

 「13、20、27日と日本式の『中6日』の間隔で調整していきます。20日の巨人戦で結果を出せなければ、次はペナントレース本番です。20日に結果を出し、中6日の調整がきちんとできた上で、ペナントレースに臨みたいはず」(チーム関係者)

 メジャーリーグの中4日間隔、80球から100球で交代するスタイルからまだ抜け出せないでいる。田中は「周りの皆さんが期待してくださっているところはあると思う。そこの期待を超えていくのが、選手として必要なことだと思っている」と語っていた。万全でなくても、結果を出す、勝利という結果にこだわっていくという決意だ。

 「田中の話を聞き、オトナになったというか、精神的にも逞しくなったと感じました」

 そんな声も多く聞かれた。

 2011年3月11日。田中自身も語っていたが、当時の楽天ナインは兵庫県明石市でのオープン戦の最中で、登板予定がなかった田中は横浜への移動中だった。新幹線の中で悲劇に遭い、途中の名古屋まで戻っていた。

 田中や楽天ナインが本拠地・仙台市に戻ったのは、4月7日。しかし、それまでの間、二軍調整組とリハビリで宮城県に残っていた一部選手を除き、オープン戦を戦ってきた主力選手たちと首脳陣は、なんとかして合流を果たしている。

 その時のことだ。「家族の安否を確かめるため、いったん帰りたい」とする選手たちと、気丈に振る舞おうとする当時の首脳陣が“衝突”した。

 どちらも正しい。お互いの言い分が熱くなり、最終的にまとめ役だった山崎武司選手(現・野球解説者)が、双方の間に立った。選手の気持ちを代弁し、改めて「どうすればいいのか」を話し合うことになった。しかし、当時22歳だった田中は“子ども扱い”され、その話し合いには参加できなかった。何人かのベテランが代表となり、首脳陣、フロントと協議した。

 「選手の気持ちを伝える上で、ドロをかぶったベテランもいました。まだ若かった田中のことを思って、ベテランたちがかばって議論に参加させなかったのかな…」(当時を知る関係者)

 今、田中はチームを牽引する側になった。当時を知る選手も少なくなった。楽天球団として、また田中個人も復興のための活動を続けてきたが、チームを牽引する側の言動の重さは先輩たちを見て学んでいる。

 まずは、20日の巨人戦で躍動する雄姿を見せてほしい。今シーズンの田中の快投に期待したい。(スポーツライター・飯山満)

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