休日が続くということもあり、毎年多くの観客が球場に詰めかけ歓声を送るGW期間。そのGWの時期に、過去のシーズンでは球場が静まり返る大事故が起きている。
1977年4月29日、川崎球場で行われた阪神対大洋の一戦。「7-6」と阪神1点リードの9回裏。1死一塁と同点のランナーを出した阪神は、大洋・清水透が放った打球に対し左翼・佐野仙好がダイビングキャッチを敢行。見事に打球をキャッチしたが、この勢いでフェンスに頭から激突しその場にうずくまった。
佐野の異変を察知した中堅・池辺巌がそばに向かうと、そこには白目で血の泡を吹く佐野の姿が。この時、大洋の一塁ランナーがタッチアップで一気に本塁を陥れようとしていたが、池辺はプレー続行中であることも構わず手招きで救助を要請。その後佐野はグラウンド内まで乗り入れた救急車で病院に搬送された。
現在のプロ野球各球場はフェンス激突による選手の怪我を防ぐため、全ての球場に緩衝材をカバーゴムで覆ったラバーフェンスを設置している。しかし、当時の川崎球場はコンクリートがむき出しのフェンスだったため激突の衝撃は大きく、佐野は頭蓋骨陥没骨折の大怪我を負うこととなった。
佐野の搬送後、大洋の一塁ランナー生還に対し阪神・吉田義男監督は命に関わる事態として猛抗議。リーグへの提訴を条件に試合は再開され、結果7-7で両軍引き分けに終わった。
阪神側の提訴は5月12日にセ・リーグ考査委員会によって却下されたが、同日に開かれたセ・パ両リーグの実行委員会で、全本拠地球場のフェンスにラバーのクッションを張ることが提案され全球場も了承。佐野の事故をきっかけに、各球場にラバーフェンスが設置されるようになった。
また、8月1日の野球規則委員会では、「プレーヤーの人命に関わるような事態など、プレーを中断すべき事態であると審判員が判断したときには、プレーの進行中であっても、審判員はタイムを宣告することができる」という項目が野球規則に追加されるなどルール改正にもつながっている。
なお、佐野は大怪我を負ったにもかかわらず、同年7月3日ヤクルト戦で復帰し初打席でいきなりホームランを記録。その後も後遺症などに襲われることはなく、阪神一筋(1974-1989)の現役生活で「1549試合・.273・144本・564打点・1316安打」をマークした。引退後は阪神でコーチやスカウトを歴任し、68歳の現在は球団本部スカウト顧問を務めている。
激突直後は「死んだ」と思った観客も少なくなかったという佐野の事故。ただ、怪我を恐れずにフェンスに突っ込んだことが、現代を含む後世の選手たちの安全につながっている。
文 / 柴田雅人