同ドラマは、全米メガヒットドラマ『SUITS』のシーズン2が原作。負け知らずの敏腕弁護士役を俳優の織田裕二が、経歴詐称の天才ニセ弁護士役を中島裕翔がそれぞれ前作に引き続き演じる。さまざまな訴訟に向き合う2人が、難題に立ち向かう重厚なストーリーと、海外原作ならではのユーモラスさとテンポのいい掛け合いが見どころのリーガルドラマである。
織田というと、1987年4月公開の映画『湘南爆走族』でデビュー。89年6月公開の映画『彼女が水着にきがえたら』で知名度を高めると、91年のドラマ『東京ラブストーリー』(同)で大ブレイクした。数々のトレンディードラマに出演し、俳優の地位を確立。97年のドラマ『踊る大捜査線』(同)は、織田の代表作となり、映画化された同作は大ヒットとなる。
俳優歴30年以上にもなる織田は、ベテランの域に達する。そんな織田にも当然若手の頃があった。今では想像できないユーモアあふれた織田の演技は、“黒歴史”ともささやかれている。
93年9月公開の映画『卒業旅行 ニホンから来ました』で、当時25歳の織田は主演を務めた。同作は、就職難民の冴えない大学生が怪しげなブローカーにだまされ、日本ブームに沸く東南アジアの小国・チトワン王国で“一発太郎”という芸名のアイドルとして一世を風靡するというコメディだ。
「劇中の織田は、当時からひと昔前のギラギラなアイドル衣装に身を包み、お約束のハチマキをおでこに巻いて満面の笑み。ノリノリで『ペッパー警部』や『YMCA』を歌い踊り狂いました。貴重でしたがこの作品は、テレビでは一切放映されないどころか、DVD化すらもされておらず、残念ながら織田の弾けっぷりを確認することはできません」(芸能ライター)
理由は不明だが、実はこの映画の撮影時に一悶着があったようだ。
同年9月に発売された雑誌『シナリオ』(日本シナリオ作家協会)で同映画の指揮を取った映画監督・金子修介氏が手記を寄せ、「この映画に関わった人々に若い俳優ひとりコントロールできなかった僕の非力を、誌面を借りて、お詫びしたい」と露骨に織田を批判したという。
「当初、同映画の脚本を織田に見せたところ、『興味がない』と反応され、シナリオ変更を巡り、脚本家とモメたといわれています。劇中の『ペッパー警部』を歌うシーンでは、『女の歌だから歌いたくない』と嫌がる織田を説得したら、『僕がバカになればいいですね』と捨て言葉を吐いたようです。さらに、タイの撮影現場ではベンツでの送迎や最高級ホテルへの宿泊を要求。そして、撮影中盤に入ると花火を使った撮影で織田が火の粉を浴び、髪の毛を焦がしてしまう事件が勃発したのです。当然のごとく激怒した織田は、謝罪が不十分という理由をつけ、撮影続行を拒否し、降板宣言までしたといわれています」(前出・同)
結果的にプロデューサーが謝罪することで事を収めたというが、これらの織田の傲慢ぶりに金子監督は、「権力を利用して人を切るという卑劣な行為、人間として許せない一線を越えてしまった」と憤った。数千万もの追加出費をするなど、どうにか完成にこぎ着けたというが、評判も興行成績も好調だったのがせめてもの救いだろう。
俳優としてのプライドが高いと言われ、その後も撮影中のトラブルが報じられている織田。20代半ばにしては随分大きな態度だが、結果、織田の演技力がヒットにつながったことは間違いないだろう。