-
スポーツ 2009年08月08日 15時00分
見せるぞインディー魂 いざ両国へ 三四郎見参
見せるぞインディー魂 いざ両国へ 三四郎見参 プロレス界で武藤敬司(全日本プロレス)、田上明(プロレスリング・ノア)のように社長業を兼任しているレスラーがいる。その中の一人、DDTプロレスリングの“大社長”高木三四郎は今、人生最大の勝負に挑んでいる。今月23日に初進出する両国国技館大会の成功に向けて、最後の詰めに東奔西走。社長レスラーとして常にチャレンジを続ける男の本音に迫った。 −−インディー団体としては快挙となる両国へ初進出します。 「不況不況といわれる中で、元気を与えられると思ったんですよね。無謀な挑戦と思われるかもしれないけど、限界点を作るのじゃなくて、常にチャレンジしていきたいっていうのがあったんで。これをやることによって起爆剤になればいいと」 −−どんな興行にしたいか。 「インディー、メジャーとかっていうのではなく、100人でも1000人でも1万人でも、来たお客さんに満足してもらうっていうのは変わらないんですよ。今回は特に試合の中身で勝負したいですね。それとDDTの未来を見せたいですね。うまく若手にバトンタッチできれば」 −−飯伏幸太をはじめ、若手選手が他団体に参戦しているが。 「どんどん他のマットに上がって学び、揉まれればいいと思いますよ。プロなんで、試合してなんぼだと思ってるので」 −−今、プロレス界は変革の時に来ています。 「チャンスですよね。序列とかをぶっ壊すつもりでやってるんですよ。団体それぞれに歴史があるけど、それがどうなのよって。その中で、両国大会が終わった後に、プロレス界の中核に入れたらと思います」 −−改めて選手と社長業の兼業については。 「ぶっちゃけ、しんどいはしんどいですけど。試合自体も変わってきていて、ハードコア的な路上プロレスとかもやってますし。でも、健康には気をつかってますし、やり続けるしかないですね」 −−そこまでして続ける意味は。 「僕は今39歳なんですけど、お客さんもそれぐらいの人って多いですよね。独身で寂しい人もいる。20代まで許されていたことが30代、40代になるといろいろとしがらみが出てきたり。会社では上司からは責められ、部下からは突き上げを食うみたいじゃないけど、ストレスが溜まっていると思うんです。39歳という年齢でも頑張ってるぞっていうメッセージを送りたいですよね。アラフォー世代に訴えていくプロレスがあると思う」 −−最近は三沢光晴さんの事故がありました。 「事故が起きてしまったという部分については避けられないこと。リングに上がっている以上は0%ではないですよね。でも、可能性を低くすることはできるので、残った自分たちでやらなきゃいけない」 −−具体的な対策などは。 「救命装置の導入や医療講習の実地体験とかですよね。現状ではリングドクターの常駐は厳しいと思う。でも、地方のネットワークを作って、地方巡業の時、夜の時間だけドクターに来てもらうとかね。選手もどこかで技のセーブをして行かなきゃいけないですね」 −−今後はどういう形でプロレス界を盛り上げたいか。 「元気がない、元気がないって言うけど、うち以外に両国でやる団体もありますからね。プロレスの楽しさを世間に広めるためにやるのみですよ」 −−スポーツバー「ドロップキック」(新宿)や「フレンチカレー☆☆☆ミツボシ」(中野)などの飲食店も経営をされていますが。 「飲食店を始めたのは、プロレスの楽しみの中には、試合が終わった後『今日は楽しかったね、面白かったね』って言いながらご飯を食べたり、飲んだりっていうのがあると思ったからですね」 −−これからのプロレス界に必要なことは。 「10年前はカードを発表すればチケットが売れた。今は売れない。営業力・企画力で全面的に勝負したい。東京タワーの下でビアガーデンプロレスをやりたいよね。東京タワーの上からダイブとか(笑)」 −−何か他にやりたいことはありますか。 「居酒屋をやりたいですね。30人〜40人ぐらいのところで。プロレス色を出すかは別としてね。あとは、トレーニング後、選手のケアができる治療院をやりたいですよね。とにかく、プロレスに何らかの関連性のあることがあればね」 −−プロレスラーになっていなかったら。 「やっぱり実業家になっていたんじゃないですかね」<プロフィール> たかぎ さんしろう=本名・高木規(ただし)。1973年1月13日生まれ、大阪府豊中市出身。175センチ、100キロ。94年IWA格闘志塾に入門、95年デビュー。PWC、フリーを経て97年にDDTプロレスを旗揚げ。06年に正式にDDTの社長に就任した。現在はユニオン、マッスルなどDDTグループの「大社長」を務める。なお、リング名の三四郎は漫画『1・2の三四郎』の主人公・東三四郎からとったもの。
-
スポーツ 2009年08月08日 15時00分
新日本プロレス 杉浦の野望 ノア重役の座買う
新日本プロレス真夏の最強戦士決定戦「G1クライマックス2009」(16日、東京・両国国技館で決勝)が9日、広島サンプラザで開幕した。外敵戦士が波乱を起こす中、プロレスリング・ノア杉浦貴は、Bブロック初戦で天山広吉に敗北。広島の地で亡くなった故・三沢光晴さんに捧ぐ勝利こそ挙げられなかったが、実は杉浦はその胸に逆襲Vでの極秘ミッションを秘めている。 ディフェンディング王者とIWGP王者がそろって敗れる波乱の幕開けの中、ノアの看板を背負ってG1初参戦を果たした杉浦も天山広吉相手に黒星スタート。右膝蜂窩織炎(ほうかしきえん)の負傷明けとあって、厳しい初戦を強いられた。 投げ放しジャーマンにランニングニーで出バナをくじいたものの、いずれも踏ん張りが利かないのか、普段の破壊力はない。逆にモンゴリアンチョップからバックドロップを食らってピンチ。ダイビングヘッドバットこそ間一髪で交わすも、その後アナコンダバイスで捕獲されて万事休す。 無念のタップアウト負けでG1初勝利はお預け。故・三沢光晴さんが亡くなった広島の地で捧ぐ勝利は挙げられず、試合後はノーコメントで控え室に戻ったが、実は杉浦にとってはここから逆襲Vを図り、G1制覇後に描いている青写真があるのだ。 「どんな形であれ賞金1000万はオレが頂く。800万は家のローンを返して、残り200万を持って六本木で豪遊しようかと思ってたけど、プライベートじゃなくてノアのために使う。前社長(故・三沢さん)は会社の反映とノアを良くすることを願ってたから…」 なんと杉浦は激動のノアを支えるため、ぜがひでもここから巻き返して賞金1000万を手にしようというのだ。しかし、よくよく聞いてみると、ちょっと話が違うようで「優勝しても会社に渡すのは20万の予定だったんだけど、俺を取締役にしてくれんならそこそこ金を用意しても良いと思ってんだわ」。どうやら1000万をチラつかせ、ノアの要職に就こうという魂胆なのだ。 「オレは物言う取締役になるよ。なんなら代取(代表取締役)狙っちゃおうかな」。真夏の最強王者となって田上政権入閣はおろか、方舟マットでの成り上がりを目論む杉浦のG1はまだ始まったばかりだ。◎TAJIRI 毒霧○ Aブロックではそのほか他団体選手がそろって勝利。まずは新日所属の外国人レスラーのジャイアント・バーナードと対戦したTAJIRIが白星発進だ。大会前には毒霧禁止に調印していたが、終盤にタイガー服部レフェリーの死角で噴射。そのまま目が開かないバーナードにトラースキック4連発で畳み掛けて3カウントをかっさらった。 禁止事項だったはずの毒霧。TAJIRIは「レフェリーに見られなきゃ良い」と悪びれることなく微笑を浮かべた。また、ZERO1から参戦している田中将斗は矢野通を破って白星スタート。鬼殺しに悶絶しかけるも、こん身のスライディングDを連発して勝負を決め「あくまで他団体選手初のG1優勝や。火祭り刀も持って来てやる」と言い放っていた。◎棚橋 100年に1度の負け 大波乱の幕開けだ。Aブロック公式戦では外敵戦士がそろって初陣を飾り、IWGPヘビー級王者の棚橋弘至が大森隆男に敗れる大番狂わせが起きた。必殺ハイフライフローで試合を決めにかかろうとコーナーに駆け上がったところ、アックスボンバーで追撃されて悶絶。そのままアックスギロチンでマットに叩きつけられ、まさかの3カウントを献上した。 それでも試合後は「きょうは100年に1度の負け。足元をすくわれても上しか見ない。必ず優勝します」と気持ちを切り替えていた。
-
スポーツ 2009年08月08日 15時00分
IGF 凶獣も“乱心” どうなる有明のタッグ戦
あす9日、有明コロシアムで行われるIGF『GENOME9』の直前会見が7日、都内で行われ、アントニオ猪木&“野獣”ボブ・サップの師弟揃い踏みが実現した。 最近のサップは負けが続き精彩を欠いているが、猪木はその資質を高く評価しており、野獣再生計画に着手。9日が再生の第一歩となる。 会見には9日の有明大会のメーンで小川直也と組み、サップ&高山善廣と対戦するジョシュ・バーネットも出席。2人はかつて師弟関係にあったが、現在、袂を別つバーネットは「ミスター・イノキがサップの再生プロジェクトを組んでいるが、残念ながらそれは無駄になる。俺がサップを終わらせる」と宣言。 これがビーストの怒りに火をつけた。会見後、サップは本誌の単独取材に「彼からは多くのことを教わった。今回はリング上で恩返しをするチャンス。俺に終わりはない。俺が何をやってきたか、すべてを見せつける」と応戦。師匠越えを誓い、猪木からは「有明は強いビーストに戻る第一段階。パワー中心に行け」というアドバイスを受けたことを明かした。 さらに、サップは所用のために会見を欠席した小川、高山についても言及。小川との初遭遇については「オガワのことは日本に来る前から知っている。グレートなファイターだからな」と目を輝かせた。 一方で暴走王の“野獣狩り宣言”はカンに触って仕方がなく「もう十分に研究済みでオガワの弱点は分かっている。肉体的にアドバンテーは私にある。パワーで押し潰す」と圧殺を予告した。 パートナーの三冠ヘビー級王者の高山とは、2002年大晦日の『イノキ・ボンバイエ』で死闘を繰り広げた間柄で、サップは「頼もしいパートナー」としながらも、「信用はしてない」と言い切る。その理由は明快だった。 「メーンの試合は全員が敵。俺がそうであるように、4人とも“誰よりも目立ってやる”と考えているはず。俺は誰にも負けない。有明で新生サップを強くアピールしてみせる」 IGFの主役は小川でなければバーネットでもない。ましてや高山でもない。サップは有明大会で覚醒し、師・猪木の目前で、IGFの主役の座に躍り出るつもりだ。◎会見場所は猪木酒場 もう、ハチャメチャだ。IGFが有明大会の前夜祭として公開記者会見を開いた場所は、なんとアントニオ猪木酒場新宿店。酒場での公開記者会見など前例のないことだ。 会見スタート時には、店内は猪木信者で膨れ上がる状態となったが、大多数はすでにアルコールが入った状態。ほろ酔い気分も手伝って会見は異常な盛り上がりをみせた。ただ、盛り上がりすぎるあまり、出場選手たちがマイクを手に、有明大会への抱負を口にするものの、話がよく聞こえないという前代未聞の事態となる。 そんな中、有明で激突する澤田敦士と“超獣”ザ・プレデターの乱闘が勃発。米国武者修行で自信を培い、たくましさが増した澤田の「お前は準備ができているのか?」という挑発に、プレデターが「お前がたいして実力のないことを、俺がリング上で証明してやる」と激怒。場外乱闘を目の当たりにしたファンのテンションが、一層高まったのは言うまでもない。「面白ければいい」とは猪木がよく口にする言葉だが、今回はまさにそれを字でいく会見であった。 また、猪木は噂される衆議院議員総選挙への出馬については「どこまで正式と言っていいか分からないが、政党からの話はある」と打ち明け、「9日のリングの上で『イエス』か『ノー』の答えを出す」とした。
-
-
スポーツ 2009年08月08日 15時00分
サップ 異例の相撲トレ
ボブ・サップが8日朝、大相撲・九重部屋で緊急の出稽古を行った。 サップは郷に入れば郷に従い、まわし姿で登場。精力的に相撲の練習に取り組んだ。 野獣再生計画を練る猪木は「気合というものは外国人には伝わりにくい」という懸念から、今回の相撲トレーニングを発案。相撲道に触れることで、最近は負けが込み、かつての輝きがあせかけつつあるサップの精神力を強化する狙いがあった。 また、猪木は2001年大晦日に安田忠夫がジェロム・レ・バンナに劇的勝利を収めたことを引き合いに出し、「安田はあの時、寅さんの格好をして入場した。バンナはそれを見て『なんでコイツはこんなに余裕があるんだ? 俺と戦うのに全然ビビッていない』と思ったはず。その瞬間に動揺が生まれる。それは駆け引きであって、相手の意表を突く発想が必要。そういう面では小さい人が大きい人の意表を突くことのある相撲は、非常に参考になる」とした。 不調続きで徳だわらに足がかけるサップだが、出稽古終了後の充実した表情を見れば、巻き返しのきっかけをつかんだことは明白だ。
-
スポーツ 2009年08月08日 15時00分
全日本プロレス 長州 30日・両国全日参戦
7日の全日本プロレス後楽園ホール大会で、8・30両国国技館大会の一部追加カードが発表され、西村修&征矢学の“無我タッグ”が“革命戦士”長州力&越中詩郎と対戦することが決定。全日マットで初めてタッグを結成するレジェンドとの対戦を前に先制攻撃を放った。また、プロレスリング・ノアの“鉄人”小橋建太の参戦も正式決定し、小島聡率いるF4が迎撃を宣言した。 まさかのサプライズに後楽園ホールがどよめいた。 かねてから両国大会へ長州の出場を要請していた西村は「我々は無我タッグで長州力とやりたい」と征矢との師弟コンビで試合に臨むことを決意。この日の第4試合終了後、30日に行われる両国大会の追加カードとして西村&征矢VS長州&越中が発表された。 全日マットでは初となるレジェンドタッグ結成に、1650人の観客からは「オォー」という驚嘆の声と拍手が起こり、期待の高さをうかがわせた。 だが、遺恨深まるばかりの西村にとってみれば、そんなことは関係ない。 「2000年に(ガンから)復帰して、対立していた長州政権のナンバー1とナンバー2ですよ。かみ合った試合になるとは思っていません」とズバリ。 さらに「言うなれば、共産主義と民主主義、陰と陽、水と油…。交わることは決してありません。相手を理解できるわけもないですし、向こうから理解してほしいとも思いません」と歩み寄る気は一切ない。 タッグパートナーの征矢も「西村さんに迷惑かけないようにトレーニングして、長州力を倒したい」と革命戦士狩りを宣言した。 無我か、それとも長州イズムかその答えは両国大会で明らかになりそうだ。◎みのる 武藤“祭”ブチ壊す 三冠ヘビー級選手権&武藤敬司デビュー25周年スペシャルタッグマッチ、両国大会ダブル前哨戦は、みのる&高山善廣が武藤&諏訪魔と時間切れ引き分けに終わった。 試合後、みのるは「武藤! オレの足折れるもんなら両国で折ってみろ。お前の右腕も、船木の首もオレがもらう」と挑発。 さらに「アニバーサリー祝ってやるよ。武藤はタコ(社長)だから海鮮料理かたこ焼きか。でも、GURENTAIは五ツ星レストランだから腐った食材は出せないな。両国でオレたちGURENTAIが乗っ取ってCDデビューだな」と勝手に決めていた。
-
-
スポーツ 2009年08月08日 15時00分
ZERO1 大谷 猪木の闘魂注入に燃えた
IGF総帥のアントニオ猪木とゼロワン社長でエースの大谷晋二郎が7日、都内のスカパーJSATビルで“激突”した。 同ビルでこの日、火祭り決勝前日会見とIGFの撮影がバッティングしたもので大谷は猪木の前で緊張しながら「火祭り優勝します。気合を入れて下さい!」と“神様みたいな人”と尊敬する大先輩から熱い闘魂ビンタを受けた。 火祭り決勝へ進むためにはブロック予選通過者4名との4WAYマッチを勝ち抜かねばならないなど依然予断を許さないが、大谷はこの“喝”によって覚醒した様子。 「ゼロワン旗揚げ後、9年間必死に毎年戦ってきた。猪木さんに火祭りを続けているのを見せられて良かった。それに、火祭り刀は生きているだけじゃない。むしろ輝きを増している。この大谷晋二郎が全てのものを超越した力で火祭り刀をこの手に戻す」と奮起した。 今後についても「火祭りに優勝し、不動のエース像を作らないといけない。優勝すれば、田中の持つベルトへの挑戦という流れができる。自分のもとに火祭り刀があれば、色々な道が開かれる。」大谷は闘魂パワーを得てヤル気満々だ。◎代表決定戦進出の3選手が決定 火祭り決勝前日会見でブロック代表決定戦に駒を進めた7選手のうち田中、佐藤、崔の3選手が欠席。運命を決める前日会見としては実に寂しいものとなった。 田中は7日開幕の新日本プロレスG1クライマックス出場のため仕方がないが、佐藤は広報を通じてコメントを出すのみ。崔にいたっては音信不通の有り様だ。 これに対し、火祭り提唱者で雪辱を期す大谷は「領二、耕平、お前らプロか。会社の命運を賭けた試合の前日にふざけるな」と声を荒げた。 崔と3WAYマッチで対戦する関本も「崔君が来るのか心配です」と異例のコメント。常識が欠落しているのか、秘密の特訓を行っているのか定かではないが、無事にブロック代表決定戦を開催できるか雲行きが怪しくなってきた。
-
スポーツ 2009年08月08日 15時00分
ハッスル 越中 デビュー30周年興行
“サムライシロー”こと越中詩郎が7日、都内のハッスル道場で会見を開き、自身のデビュー30周年記念興行「ハッスル外伝やってやるって!!」(27日、東京・後楽園ホール)の開催を発表した。 1979年3月に全日本プロレスでデビューした越中は、その後新日本、WJなどを経て、現在はフリーとしてハッスルに参戦中。この日の会見では「デビュー30周年を迎えまして、節目の大会をやることになりました」と経緯を説明した。 「プロレス界で今オレより元気でイキのいい奴はいない。そこら辺の奴に負けるつもりはない」と意気込む越中。参戦選手などについてはまだ未定ながら「30年間のいろんな想いをぶつけたい。自分のこだわっている選手がいます」と語っており、ハッスルのメンバーやジュニア時代にライバルだった高田延彦などが候補にあがってくる。 さらには、平成維震軍の1夜限りの復活なども考えられる。
-
スポーツ 2009年08月08日 15時00分
元川悦子のサッカー魔法陣
本拠地・コルネジャでのデビュー戦・リバプール戦(2日)を2アシストで飾った中村俊輔(エスパニョール)。新天地での第一歩は実に幸先のいいものとなった。 特に際立ったのが献身的な走り。新シーズン開幕まで約1カ月あり、多くの選手がスローペースでプレーする中、俊輔だけは本気だった。予想に反して左MFで使われたにもかかわらず、彼は前線からプレスをかけ、果敢にボールを奪いに行った。ルイス・ガルシアへの先制弾をお膳立てしたスルーパスも見事だったが、それ以上にハードワークと激しい守備が見る者の目を引いた。 トルシエ元監督が日本代表を率いていた頃の中村はトップ下以外のポジションを嫌がった。左サイドで起用するフランス人指揮官への不満を前面に押し出すなど、10番のプライドは誰よりも高かった。が、7年が経過した今はどんな役割でも喜んで受け入れ、全力を尽くす。そんな変化こそ、欧州3チームを渡り歩いた経験の賜物だ。 中村俊輔が最も大きく変化したのは、2002年から3シーズンを過ごしたレッジーナ時代だろう。ここではムッティ、マッツァーリなど5人の指揮官の下でプレー。ボランチからアウトサイド、FWまで多彩な仕事を求められた。「守備ができない」とバッサリ切り捨てる監督もいて、試合に出られない時も多かった。 そこで彼が思ったのは「ボールが頭の上を超えて行くだけと諦めたら何も始まらない。どうすべきか考えないと進歩しない」ということ。自分自身を見直し、守備力向上に努めたのだ。Jリーグ時代には見せたこともないスライディングタックルもお見舞いするようになるなど、確実にタフさを増していった。 イタリア時代の試練に加え、セルティックで右MFとして新境地を開拓したことも今に生きている。「ポジションはどこでもいい。チームに貢献できれば」と31歳になった中村はさらりと言う。この献身的な姿勢があればどんな指揮官にも使われるはず。今季のエスパニョールでも活躍を期待してよさそうだ。
-
その他 2009年08月08日 15時00分
幻覚ナビ
左から1・2・3・4
-
-
レジャー 2009年08月08日 15時00分
HP版!!狙え「藤川京子のフォーキャスト馬券」
新潟11レース 関屋記念馬単 (2)(12) (2)(14) (2)(8)3連単 (2)(12)→(2)(12)(14)(8)(6)(11)(7)(5)(10)→(2)(12)(14)(8)(6)(11)(7)(5)(10)