昨年6月、マスターズリーグの各球団は監督を一新した。池永監督の他にも、2歳年上の札幌アンビシャス・柴田勲監督。2歳年下の東京ドリームズ・江夏豊監督。唯一60歳代直前の代名古屋エイティデイザーズ・大島康徳監督。2歳年下の大阪ロマンズ・山田久志監督。近い世代のかつてのスターたちと顔を揃えての戦いは、池永氏にとっては夢心地だろう。
しかも、人気野球漫画『あぶさん』の作者・水島新司氏が福岡ドンタクズ入団で花を添えるというハプニングまであった。
1969年オフ、突然、日本プロ野球界を直撃した「黒い霧事件」。西鉄ライオンズのエースだった池永氏は70年5月25日、23歳の若さで球界から「永久追放」の処分を受けた。「八百長はしていない。他の選手に『預かってくれ』と言われたお金を押し入れにしまっていただけ」と池永氏本人は八百長への関与を否定。不起訴処分になったが、当時のコミッショナー委員会(宮沢俊義委員長)は「八百長行為が絶対になかったという確証はない」として永久追放処分を下した。
「見せしめのための永久追放になった悲運のエース」といわれた池永氏に対し、救いの手を差し伸べたのが、西鉄ライオンズの大先輩、「神様・仏様・稲尾様」だった。
「もう一度マウンドに立たせたい。ファンの人に見てもらいたい」と、福岡ドンタクズ監督として、池永氏を01年12月、福岡ドームで31年ぶりにマウンドに立たせた。それから4年後の05年、復権誓願運動などもあり、3月のオーナー会議で野球協約が改正され、4月25日に処分解除、野球人として35年ぶりの復権を果たしている。
◎パ・リーグの新人王は5年間で99勝
65年のルーキーイヤーに20勝10敗、防御率2.27でパ・リーグの新人王に輝いた池永氏は、翌年15勝14敗と成績が落ちるが、67年には23勝14敗で最多勝のタイトルを獲得。68年も23勝13敗。69年18勝11敗。70年は黒い霧事件のために4勝3敗止まりだが、5年間で99勝(62敗)を記録しているのだから、「あの事件さえなければ、何勝していたか分からない」という球界関係者の言葉もオーバーではない。
それだけに、70年5月25日にコミッショナー委員会が西鉄のエース・池永氏に対し、永久失格の処分を下したことは世間に衝撃を与えたのだ。
裁決理由は「去る5月20日付太平洋野球連盟会長の西鉄ライオンズ池永正明選手に関する報告および当委員会の調査の結果、関係人、本人の証言により、同選手が敗退行為の勧誘を受けると共に100万円を受領し、これを返却しなかった事実を認める。これは野球協約にいう敗退行為への通謀と認めるを相当とする」だった。