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社会 2014年10月09日 11時45分
新潟の中学教諭がコインランドリーで女性の下着盗む
新潟県警長岡署は10月6日、コインランドリーで女性の下着を盗んだとして、窃盗の疑いで、長岡市立堤岡中学校の男性教諭(51=同市下々条町)を逮捕した。 逮捕容疑は、8月下旬、同市三和のコインランドリーで、30代女性の下着4点(約4000円相当)を盗んだ疑い。 調べに対し、教諭は「忘れ物の置き場から持ってきて、車の中に入れていただけ。盗んでいない」と苦しい弁明をしているという。 教諭は9月4日、同じコインランドリーで、同様の手口で、40代女性の下着を盗もうとしたとして、窃盗未遂の疑いで、翌5日に逮捕された。 教諭が洗濯機を開けて、下着を物色しているところを女性に見つかって、もみ合いになり、巡回中の警察官が取り押さえた。 その際も、教諭は下着などを触っていたことは認めたが、「盗むつもりはなかった」と一部容疑を否認をしていた。 当時、教諭は家庭の事情で、8月頃から車で寝泊まりをしていたが、その後の捜査で、車内から複数の下着が見つかっており、同署では余罪があるとみて調べていた。 窃盗未遂容疑については、長岡区検が「窃盗の犯意を認める証拠が不十分」として、9月25日付で不起訴処分(嫌疑不十分)としていた。 せっかく、不起訴となったのに、余罪で再び逮捕されてしまった教諭。さすがに、今回は逃げ切ることはできないか?(蔵元英二)
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芸能 2014年10月09日 00時00分
半井小絵 お天気キャスター&日銀出身の初ヌード写真集急浮上
かつて『NHKニュース7』で“午後7時28分の恋人”と呼ばれたお天気キャスター・半井小絵(41)の復活ヌード極秘交渉が進んでいるという。 関西学院大卒業後、日本銀行→日本気象協会を経た半井は、気象予報士の資格を持つことから'04年、同番組に出演開始した。 「癒やし系で清楚な笑顔と控え目な口調の独身・半井は、たちまち大人気。午後7時28分からの天気予報を見る視聴者が激増し、'06年の紅白歌合戦にも出場した。しかし'11年2月、メジャーリーガー・建山義紀(現阪神)との不倫疑惑が報じられたのです」(芸能記者) 半井側は不倫を否定したものの、直後の同年3月に『ニュース7』を降板。翌'12年には大手キャスター事務所に所属した。 「'12年には一時民放のバラエティー番組に出演しましたが、その後目立った芸能活動はなし。すっかり“あの人は今”状態になっていたのです」(同) そんな半井に最近、大きな動きがあった。今年7月、所属事務所を退社。さらに11月7日に、初写真集『雲の向こうへ』を発売することが発表されたのだ。 「写真集の詳細は公表されていませんが、セクシーグラドルのDVDや写真集を多数出している発売元なので、多少の露出は期待できそう」(芸能プロ関係者) また、早くも“半井ヌード争奪バトル”が勃発しているという。 「数社の関係者が半井との水面下交渉を狙っており、中には『乳首出しヌードで5000万円、ヘアまで出せば1億円』と息巻く脱がせ屋もいる。数年の沈黙を破って突然写真集を出すくらいだから、半井も復活に色気を見せているはず。実現すれば日銀出身初のヌードにもなる」(出版関係者) 早大大学院アジア太平洋研究科修士課程を修了している半井。当時から「脱いだらすごい」と評判だった。 「『ニュース7』は毎日、彼女のファッションショーでもありました。時にはおっぱいの谷間寸前まで露出した衣装で登場したこともある。紅白では両肩全開の超悩殺ドレスで登場し、水泳で鍛えていたこともあって、ファンの間ではEカップ巨乳として評判でした。最近でも9月に、海外の南国に行った際の胸元まで露出した自撮り写真をブログにアップした。四十路になり、さらに巨乳化している印象です」(同) 今度は“深夜の恋人”に。
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その他 2014年10月09日 00時00分
夏の疲れがまだ抜けない… 急増する“秋バテ”カンタン解消法(1)
秋風が漂う季節なのに、熱帯夜もあるし急激に温度が下がる日があるなど、温度差で体調管理も難しい。そのほとんどは睡眠不足や食欲不振などで、体が変調をきたし胃腸の機能も低下しやすい。 東京・多摩総合医療センターの総合内科担当医がこう説明する。 「“秋バテ”も一般用語になりました。今年も猛暑に見舞われたため、この時期に“秋バテ”で体調を崩す人が多い。夏は熱中症予防の水分補給で水分を多く摂るので胃液が薄まることもあるし、逆に脱水でも胃液の分泌が低下する。そのため、胃腸の機能低下で食欲がなくなり、食事内容がアッサリしたものばかりに偏りやすい。ビタミン、ミネラルなどの栄養不足も体調不良の原因になっています。秋に入った今こそ、体調をしっかりと立て直す必要があります」 とくにビタミンB1が不足すると疲れが溜まるので、豚肉やウナギ、大豆製品などを意識して多く摂った方がいいといわれる。だが、最も“秋バテ”の原因になりやすいのは、残暑がきつい日に冷房を使う室内と外気との温度差に体が適応できず、自律神経の働きが乱れる“冷房病”。これがこの季節まで続き、体のだるさ、無力感などさまざまな不定愁訴が現れる。 東京社会医療研究所の片岡剛正主任(医師)はこう説明する。 「比較的若い人ほど秋バテになりやすい、ともいわれます。それは幼いころから年中、快適な温度で過ごしてきた人たちで、体温調整機能が鍛えられていないため、秋になってから疲れ、バテを引き起こしやすい。体力が落ちた中高年者も同じで、室内外の温度差が7℃以上にならないように心掛ける必要があります。風邪も引きやすくなりますからね」 “自律神経の乱れ”と体調不良の因果関係はどいうものだろうか。 前出の総合内科担当医は「心臓を動かしたり発汗を促したり、血圧や胃腸などの体の働きは自分ではコントロールできません。この働きをつかさどっているのが、自律神経ということになります」と説明し、自律神経の観点から三つほど理由を挙げた。 一つは、「脱水」。夏に汗を多くかいているので、体は完全に脱水状態から抜け出せていない。そのため、自律神経のバランスが崩れやすい。 二つ目は、夏の間感じていた汗や湿度の不快感。秋になっても残暑日で同じような感覚を受けることがあるが、人間はちょっとした不快感がストレスになり、自律神経が乱れる。シャツや靴が合わないと、イラついたり気になるのと同じ。 三つ目は、前述したように温度差。エアコンの効いた室内と外気温の差が自律神経を乱す。また、季節の変わり目も同じように体調を崩すのは、気温の差で変調をきたすため。 医療関係者によると、自律神経には交感神経と副交感神経があり、大まかに言えば交感神経はクルマでいうアクセルで、副交感神経はブレーキの役割を果たすという。 交感神経が高まると心拍数が上がり、呼吸が浅く速くなって、体は緊張、興奮状態になる。副交感神経が働けば心拍数はゆっくりとなり血圧が下がってリラックスモードになるのだ。骨や肉などがハードウエアなら、自律神経はソフトウエア。つまり、ソフトウエアがうまく働かないと健康とは言えないわけだ。
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芸能 2014年10月09日 00時00分
プロフェッショナル巧の格言 山田廣作(音楽プロデューサー) 「歌はメッセージだ」イジメ撲滅の思いを音楽に乗せて(1)
イジメ撲滅をテーマにしたアメリカを代表する伝説的フォークグループ『ピーター・ポール&マリー』のメンバー、ピーター・ヤーロウのアルバム『決してあきらめないで』と、世界的合唱団『ウィーン少年合唱団』の『尊い人生』が静かなブームを呼んでいる。 この画期的ともいうべき2枚のアルバムをプロデュースしたのは、島倉千代子の『人生いろいろ』や天童よしみ『珍島物語』の音楽プロデュースを手掛けた山田廣作。スキンヘッドで髭面の一見コワモテに見える山田は、業界では“山田会長”と呼ばれ愛されている人物だ。 「イジメによる自殺のニュースが後を絶たない。子供たちが幸せな生活を送るためにはどうしたらいいか、と悩んでいるとき、チベット仏教の最高指導者でノーベル平和賞を受賞したダライ・ラマ14世による“イジメ撲滅”の詩に出会った。その詩をアレンジ。レコード会社の尽力で世界的なアーティストによるアルバムが完成したんです」 常々、「歌はメッセージだ」と力説する山田は、鹿児島生まれ。父親が働く三池炭鉱のある大牟田市(福岡)で育った。 「僕は悪ガキで勉強も嫌いでしたが、歌だけはうまかった。小学校の頃から、大会に出て東海林太郎の曲を歌っていました。将来は歌手になる夢を持って東京に出てきたんです」 歌手を目指し上京した山田だったが、『日本著作権協会』(JASRAC)の社員募集広告が目に止まり「ここに入れば歌手になれる」と思って応募したという。 「当時、著作権協会の会長は『青い山脈』『蘇州夜曲』それに村田英雄さんの『王将』など数々のヒット曲を作詞した西條八十先生でした。面接のときに『君は赤とんぼを作曲した山田耕筰先生と同じ名前か』と面接官が笑いながら接したんで、受かるなと思いましたよ」 入社はしたものの、同協会は著作権を管理する組織で歌手の養成所ではなかった。山田は2年あまりで退社した。 「知人の紹介で作曲家の浜口庫之助さんのマネジャーになったことで、芸能界に足を踏み入れたんです」 浜口氏の歌謡界での通称は“ハマクラ天皇”。『黄色いさくらんぼ』『愛して愛して愛しちゃったのよ』『バラが咲いた』、石原裕次郎が歌った『夜霧よ今夜も有難う』など数々のヒット曲を生みだした大御所だ。 「いつか僕の歌を聴いてもらえると思ったら、『今度、またな』とはぐらかしてばかり…。結局、ハマクラさんのところで覚えたのはゴルフだけ。先生がいない間にクラブを振って覚えたんです。その後、マネジャーを辞めて日本テレビに出入りしていたときに、作家の飯干晃一さんとバッタリ会ったんです」 飯干氏は読売新聞社会部記者を経て作家に転向。『山口組三代目』を執筆、映画化された東映の大ヒットシリーズ『仁義なき戦い』の作家としても有名だ。 「艶福家のハマクラさんは、大阪に好みの女性がいた関係で読売テレビ制作の『11PM』に出演していた。飯干さんもレギュラーだった縁で僕とも親しかったんです。飯干さんから『スポンサーを連れて来るから番組を作らないか』と誘いがあったんです」 山田のプロデュース人生の転機となった。
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芸能 2014年10月09日 00時00分
プロフェッショナル巧の格言 山田廣作(音楽プロデューサー) 「歌はメッセージだ」イジメ撲滅の思いを音楽に乗せて(2)
飯干氏の一言がきっかけで、山田は'73年に『歌まね合戦スターに挑戦!!』(日本テレビ)を誕生させた。 「司会は西川きよしさんと横山やすしさん。横山さんは、破天荒な性格でしたからね。トラブルを起こしたともありましたが、“スタチョン”は10年以上続きました」 その間、山田は出演した歌手のマネジャーたちと“ボンビー(=貧乏)会”を作ったという。 「ほとんどの人が引退してしまいましたが、野口五郎や内藤やす子のマネジャーらもメンバーでした。当時は金がありませんでしたが、“ボンビー会”でよく遊びました。みんな純粋であのころが一番楽しかった」 その一方で、山田は番組で輩出した男性アイドルグループ『アンデルセン』をデビューさせるために芸能プロ『ABCプロモーション』を設立した。 「ところが、売れた途端にメンバーの一人が結核になってしまいグループを解散したんです。そんなときでした。ジョニー野村とハリウッドのキャスティングプロデューサーを務める奈良橋陽子さんから『ゴダイゴをプロデュースしてくれないか』という依頼があって引き受けたんです」 ゴダイゴは、『西遊記』(日本テレビ)の主題歌『ガンダーラ』('78年)が爆発的大ヒット。次にリリースした『モンキー・マジック』『ビューティフル・ネーム』もヒットし、ゴダイゴはオリコン年間セールス1位に輝いた。 3年前に64歳で亡くなったロック歌手のジョー山中のレゲエのプロデュースも山田は買って出た。 「ジョーさんが歌う映画『人間の証明』('77年)の主題歌がヒットした直後、彼はクスリに手を出して逮捕され音楽活動休止に追い込まれた。ジョーさんがプロボクサーだったこともあって、当時の金平ジムの金平正紀会長から『ジョーの面倒をみてくれないか』と紹介された。ジョーさんが『レゲエをやりたい』と熱望したんで、本場のジャマイカまで行かせたんです」 筆者は山田からジョー山中を紹介され、自叙伝『証永遠のシャウト』を出版プロデュースした。彼の訃報を私に知らせくれたのも山田だった。 「ジョーさんは亡くなる前に僕に電話をかけてきて、出ない声を振り絞って『もしもし』と3回繰り返した。死ぬ前にお礼が言いたかったんだと思います。まじめで礼儀正しい男でした」 その後、山田は演歌歌手の大月みやこのプロデュースも依頼された。 「『大阪ごころ』から3曲。それが『女の港』('83年)の大ヒットにつながった」 島倉千代子を『人生いろいろ』('87年)で再起させたのも山田だった。 「この曲はTBS系ドラマ『三どしま』の主題歌だった。ハマクラさんが作曲し、『歌まね合戦スターに挑戦』審査員をやって仲良くなった作詞・作曲家の中山大三郎さんに作詞を頼んだのです」 中山氏が付けてきた歌のタイトルは『笑いばなしにして』だった。 「歌詞の内容は酒で憂さを晴らす女だったが、お千代さんは酒を飲めない。勝手に詩を変えて、歌のタイトルも『人生いろいろ』にした。その中山さんも9年前に64歳の若さで亡くなった。善い人は、なんで早く逝ってしまうんでしょう」
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スポーツ 2014年10月09日 00時00分
俺達のプロレスTHEレジェンド 第40R 愛すべき無責任男〈ディック・マードック〉
昭和プロレスのファンで「ディック・マードックが嫌い」なんていう人はまずいないだろう。 とりわけ新日参戦時“リングインのときにタイツを引っ張られて半ケツ出し”などの陽気なアメリカンファイトは、選手大量離脱による沈滞ムードを一時的にも忘れさせてくれた。これにより新日が救われた部分は決して小さくなかったはずだ。 王者なんて堅苦しい肩書きはまっぴらご免。その日、試合後においしいビールが飲めればそれでいい。そんな巷間伝えられるマードックの主義信条は、植木等の無責任男や釣りバカ日誌の浜ちゃんにも通じるものがあり、そんなところも日本のファンから愛された理由だろう。 新日へ参戦していた当時にもかかわらず、馬場のところへ「一杯おごってくれよ」とちょくちょく顔を出していたとの逸話もある。潰すか潰されるかの興行戦争が繰り広げられるさなかにそんな“振る舞い”をやってのけるのは、大胆なのか能天気なのか。それでいて、どちらの団体からもとがめられなかったというのだから、レスラーに限らずここまで憎まれない人柄も珍しい。 そんなふうでありながら、一歩リングに踏み入れたときの職人気質は決して人後に落ちるものではなかった。 「何はさておき、正統派ブレーンバスターの使い手であったことは、マードックの人気の大きな要因でしょう。マットに座り込むようにして相手を脳天から落とす、そんな正式な型を伝承する姿にファンは“単なる乱暴者ではない本格派”のイメージを抱きました」(プロレスライター) 実際、試合となれば当時最強と目されたブルーザー・ブロディとも互角に渡り合うのだから、その実力は相当なものがあったとうかがえる。 「新日でのタッグパートナーだったマスクド・スーパースターは、まともにトレーニングなどしたことがないのにベンチプレスでは同等の重さを挙げる姿を見て“天才”とまで称しています。山本小鉄がアンドレ・ザ・ジャイアントと前田日明との不穏試合に触れて“本気で前田を潰すつもりならアンドレではなくマードックを行かせただろう”と語ったことも、その幻想への後押しとなりました」(同・ライター) だが、そんな好評の裏では、「大の黒人嫌い」だったとも伝えられている。 そうは言いながらも黄色人種である日本人に対しては、路地裏の焼き鳥屋にも独りで出向くほど親しみを持っていたのだから、決して白人至上主義というわけではない。 「マードックが黒人差別を掲げる秘密結社“KKK”のメンバーだった」というのはバッドニュース・アレンのインタビューの中などで語られているが、しかし新日においてはそのアレンともタッグを組んでいる。また「全日では馬場の配慮からあえて同じシリーズへの招聘を避けた」とされる因縁のアブドーラ・ザ・ブッチャーとも、新日のリングではシングル戦を行った。 「試合はブッチャーの凶器攻撃もあって両者血みどろにはなりましたが、あくまでもそれはプロレスの範疇のこと。ブッチャーがコーナー1段目からジャンプしてヘッドバットを放った際に距離が足りなかったのをマードックの方から受けに行ったり、またマードックがブッチャーを不完全ながらもブレーンバスターで投げたりもしていて、むしろ両者の息の合った好勝負といえるものでした」(プロレス記者) さてこれは「差別意識を上回るプロ意識を持っていたため」と見るべきなのか、それとも、もともといわれるような黒人差別主義者ではなかったということなのか−−。 疑問を解くためのヒントとなるのがその来歴である。 デビュー間もない'60年代後半にマードックがアメリカで主戦場としたのはミッドサウス地区。そこでブッカーを務めていたのは、人種差別主義者であることを公言してはばからないビル・ワットであった。 ということは、もしやマードックは自らの主義主張に関係なく、ワットに調子を合わせて「黒人嫌い」と言っていただけではなかったか。 鬼籍に入ったマードックにその真相を確かめるすべはないが、ここではこの「上役に適当に合わせていただけ」という説を採りたい。 その方が、無責任男マードックにはふさわしい。〈ディック・マードック〉 1946年、アメリカ・テキサス州出身。'65年『ファンク道場』に入門しプロレス入り。初来日は'68年の日本プロレス。以後、国際、全日、新日で活躍する。'89年FMW参戦以降はインディ団体にも出場している。'96年死去。享年49。
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芸能 2014年10月09日 00時00分
“プライベートより仕事”で一気に勝ち組になった 田中みな実
9月一杯でTBSを退社する田中みな実アナ(27)が大方の予想に反し、“勝ち組”として名乗りを上げることになりそうだ。 「勝ち組の中でも超ハイクラスです。TBS時代の年収は税込みで1800万円。しかし、フリー転身することで一気に10倍も夢じゃなくなってきました」(芸能プロ関係者) なぜここに来て、勝ち組セレブアナの仲間入りを果たすことが出来たのか。鍵は所属事務所にあるという。 「田中が契約を結んだのは宮根誠司や羽鳥慎一などの人気アナが所属する事務所『テイクオフ』。同事務所は芸能界きっての実力者が後ろ盾となっており、キャスティングの際にはかなりの無理強いが利くことで有名なんです。当然、仕事の量もハンパじゃない。しかも手数料は高額で、ギャラから半分以上も持っていかれてしまう。しかし、それらを上回る仕事が約束されているんです」(事情通) どうやら田中は、プライベートを犠牲にすることを条件に事務所を選択したという見方がある。事実、この10月からフジテレビで新番組『ニュースな晩餐会』に、フリー後初のレギュラーMCとして出演することが発表された。 「驚いたのは、退社したばかりの翌月にフジのゴールデン帯でレギュラー番組を持つこと。民放キー局の常識では絶対にあり得ないことです。羽鳥も日テレからテレ朝に横滑りしている。しかも、パートナーはアンジャッシュの渡部建、共演者は歌手で俳優の美輪明宏と超豪華な顔ぶれです。フジの期待を一身に背負っているのがわかります」(関係者) 当然、気になるのは田中のギャラ。 かなりの低価格で手を打ったと思いきや、そうではないようだ。 「一本120万円。渡部は70万円、美輪さんが100万円。これも事務所あってのこと」(芸能プロ関係者) 秋以降、CMの仕事も数本決まっているという田中。休みは年内に一日もないという。 すでにオリエンタルラジオの藤森慎吾との破局説も飛び交っている田中。女の幸せよりも仕事を選んだようだ。
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その他 2014年10月09日 00時00分
話題の1冊 著者インタビュー 小川裕夫 「鉄道王たちの近現代史」 イースト新書 907円(本体価格)
−−本書を読んで、いかに鉄道会社が日常に入り込んでいるかを実感しました。 小川 日常生活で多くの人が鉄道を利用しますが、単に移動する手段というイメージが強いと思います。でも、そうした手段以外にも鉄道は影響を及ぼしていて、例えば鉄道会社が経営する百貨店やプロ野球球団、沿線に開発した住宅地。こうした今では当たり前となった、鉄道会社が本業以外の事業で稼ぐビジネスモデルをつくったのは、阪急電鉄の創業者・小林一三です。 日本初の鉄道は、新橋〜横浜区間に官営企業がつくりました。これは横浜港にやってくる外国人を、新橋に近い築地の外国人居留地へ運ぶためでした。当時の日本では外国人が珍しく、生活様式があまりにも違うため、衝突が起こらないように外国人居留地が設けられていたんです。 その後、日本が開国すると、外貨を獲得する必要性に迫られた政府は生糸とお茶の輸出に力を入れます。その生糸の産地が群馬県の富岡製糸場でしたが、当時は馬車で運んでおり、より多くの生糸を運ぶために上野〜高崎間の鉄道が開業したんです。また、軍部も鉄道を重要視していました。 しかしその後、炭鉱から効率よく石炭を運び出したい財閥を中心とした民間企業から、鉄道をつくりたいという声が上がります。初め政府はこれを認めなかったのですが、予算の問題もあり、有事には軍事優先という条件の下、私鉄の開業を認めました。 −−もともと乗客の運賃で経営するというより、軍隊や商業のためにつくられたという側面が強かったわけですね。 小川 はい。だからこそ国有でした。また当時、駅をつくっても農家が多く、今のように会社や学校へ電車を利用する人は少なかったですし、駅から家まで遠かったという事情もあるようです。そんな中、阪急電鉄の前身にあたる箕面有馬電気軌道を経営していた小林は、新しい駅をつくり、その周りに住宅をつくってしまえばいいのではないかという発想をします。小林はその後も百貨店や映画会社の東宝を設立し、事業を拡大していきます。この小林のビジネスモデルに倣ったのが東急の五島慶太です。東急のやり方は、すべて小林から学んだというくらいです。 −−今後も鉄道は、さまざまな事業に乗り出していくのでしょうか? 小川 昨年運転開始された豪華列車『ななつ星in九州』の人気ぶりから、今後は原点回帰し、鉄道に乗ってもらって稼ぐというビジネスに転換するのではないかと思いますね。(聞き手:本多カツヒロ)小川裕夫(おがわ ひろお)1977年、静岡市生まれ。行政誌編集者を経て、フリーランスライター。著書に『踏切天国』(秀和システム)など多数。
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その他 2014年10月09日 00時00分
本好きリビドー(24)
◎快楽の1冊 『夜よ鼠たちのために』 連城三紀彦 宝島社文庫 730円(本体価格) 2013年10月、連城三紀彦が亡くなった。65歳だった。いわゆるミステリー・マニアから高く評価されると同時に、さほどマニアを自認していないファンも多かった作家である。そのような人気は映画やテレビドラマなど映像化作品による話題性や1984年の『恋文』直木賞受賞がもたらしたところもあったかもしれないけれど、元来揺るぎない両面的な作風を確立していなければ、この独特の人気は長続きしないだろう。 巧みに作中にちりばめられたデータが物語の終盤で集結し、価値観が反転するようなサプライズが起きる、というのがミステリーならではの醍醐味と言えようが、この作家はサプライズの達人であった。同時に叙情味溢れる文章で人間の心のひだへ迫っていく。その手腕がサスペンスフルなエンターテインメント性を生み出すこともあったし、恋愛小説に結実する場合もあった。短篇の名手でもあった。先に挙げた『恋文』は短篇集であり、例えば映画化された「私の叔父さん」のようにミステリーとしても恋愛小説としても堪能できる作品が多く収められている。 さて本書『夜よ鼠たちのために』は今年9月に出た復刊本である。ちょっと複雑な経緯をたどった本で、'80年代に出た2冊の短篇集からセレクトした作品を集め'90年代に刊行された本を復刊したのだ。本書全体のテーマはおそらくイメージの転覆であろう。表題作は愛する人を死なせた者に対する復讐譚、「過去からの声」は若者からかつての先輩に対する愛情溢れる手紙、「ベイ・シティに死す」はヤクザ小説、とそれぞれ明確なカラーを打ち出しており、であればこういう展開になるであろう、という予測を読者は抱くはずだ。それをことごとく覆す。実験小説短篇集と言ってもいい。しかし、それだけでは終わらない。切なく哀しい、連城三紀彦らしい作品集だ。(中辻理夫/文芸評論家)【昇天の1冊】 昭和6年に刊行されたエロ関係書籍が、中央公論新社の中公文庫によって復刊している。『日本歓楽郷案内』(定価880円+税)だ。 著者の酒井潔氏は明治生まれの作家・翻訳家。昭和初期の“エロ・グロ・ナンセンス”の時代を詳細にルポした人らしい。2012年に国立国会図書館が公開したデジタルアーカイブ『エロエロ草紙』の著者でもあり、これが無料配信実験のダウンロード数1位になったことで、作品に再び注目が集まっているという。 内容は、関東大震災からの復興過程にある首都・東京を賑わせた風俗の実態。銀座の“ステッキ・ガール”なる女性たちが登場する。カネさえ払えば恋人のように寄り添い、銀ブラの相手をしてくれる女のことで、アキバで流行しているメイドやJKとのお散歩デートの先駆といっていい。 「魔窟街」と呼ばれた亀戸の売春エリアなども、当時のモノクロ写真付きで紹介されている他、さらにディープなネタになると、空き地の土管に男を招き入れる女など−−コレなどは現在なら、ワーキングプア層の女性がわずかな金額で春を売る“コロッケ売春”といったところだろう。 舞台は次いで、横浜・大阪・神戸へと移り、飛田新地のゴージャスな洋式ラブホや、港町・三宮に実在したロシア人娼館の記事も掲載されている。 全てが、平成の現代ニッポンと、何ら変わらない。日本の性風俗とは、規制の網をかいくぐり連綿と受け継がれてきた、たくましい産業なのだなと思わずにいられない。(小林明/編集プロダクション『ディラナダチ』代表)
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芸能 2014年10月09日 00時00分
芸能人のファンも後押しで注目 宮沢りえが本格官能女優に鞍替え
最近のドラマや映画プロデューサーの間で注目を浴びているのが、女優の宮沢りえ(41)。すでにバラエティー番組やドラマからの出演オファーが殺到し、年内のスケジュールはパンパン状態だという。 「人気の理由の一つは、ギャラが超リーズナブルなこと。ドラマは主役級で一本120万円、バラエティーに至っては本業でないという理由から50万円。映画は露出度にもよるが、濡れ場ありきで700万円。彼女のキャリアを考えれば、2〜3倍になっても不思議ではありません」(事情通) ギャラの安さ以上に評判になっているのが“エロエロフェロモン”。11月に公開される映画『紙の月』で披露した艶技がとにかくエロいと、業界で大評判になっている。 「この映画で宮沢は本格“官能女優”に鞍替えしたとされている。現に宮沢のエージェントを名乗るプロデューサーは『今後も企画や条件次第では過激濡れ場も厭わない。巨乳やお尻の露出も考える』と、テレビ局や映画配給会社に熱心に営業を掛けている」(芸能プロ関係者) 宮沢のフェロモンに魅了されているのは、制作スタッフだけではない。芸能人もまた、その虜になっているのだ。 「一番手に名前が挙がるのがタモリ。この10月からスタートする『ヨルタモリ』(フジ)に出演することが内定した宮沢ですが、タモリの指名があったという話もあります」(関係者) 実は、宮沢が制作スタッフにモテモテの理由がここにある。 「共演者が宮沢だと意外な大物が釣れる。しかも信じられないような金額で。噂ですが、『ヨルタモリ』のタモリのギャラは一本80万円。最盛期の4分の一の額なんです」(制作関係者) 宮沢はどこまで化けるか。
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