小川 日常生活で多くの人が鉄道を利用しますが、単に移動する手段というイメージが強いと思います。でも、そうした手段以外にも鉄道は影響を及ぼしていて、例えば鉄道会社が経営する百貨店やプロ野球球団、沿線に開発した住宅地。こうした今では当たり前となった、鉄道会社が本業以外の事業で稼ぐビジネスモデルをつくったのは、阪急電鉄の創業者・小林一三です。
日本初の鉄道は、新橋〜横浜区間に官営企業がつくりました。これは横浜港にやってくる外国人を、新橋に近い築地の外国人居留地へ運ぶためでした。当時の日本では外国人が珍しく、生活様式があまりにも違うため、衝突が起こらないように外国人居留地が設けられていたんです。
その後、日本が開国すると、外貨を獲得する必要性に迫られた政府は生糸とお茶の輸出に力を入れます。その生糸の産地が群馬県の富岡製糸場でしたが、当時は馬車で運んでおり、より多くの生糸を運ぶために上野〜高崎間の鉄道が開業したんです。また、軍部も鉄道を重要視していました。
しかしその後、炭鉱から効率よく石炭を運び出したい財閥を中心とした民間企業から、鉄道をつくりたいという声が上がります。初め政府はこれを認めなかったのですが、予算の問題もあり、有事には軍事優先という条件の下、私鉄の開業を認めました。
−−もともと乗客の運賃で経営するというより、軍隊や商業のためにつくられたという側面が強かったわけですね。
小川 はい。だからこそ国有でした。また当時、駅をつくっても農家が多く、今のように会社や学校へ電車を利用する人は少なかったですし、駅から家まで遠かったという事情もあるようです。そんな中、阪急電鉄の前身にあたる箕面有馬電気軌道を経営していた小林は、新しい駅をつくり、その周りに住宅をつくってしまえばいいのではないかという発想をします。小林はその後も百貨店や映画会社の東宝を設立し、事業を拡大していきます。この小林のビジネスモデルに倣ったのが東急の五島慶太です。東急のやり方は、すべて小林から学んだというくらいです。
−−今後も鉄道は、さまざまな事業に乗り出していくのでしょうか?
小川 昨年運転開始された豪華列車『ななつ星in九州』の人気ぶりから、今後は原点回帰し、鉄道に乗ってもらって稼ぐというビジネスに転換するのではないかと思いますね。
(聞き手:本多カツヒロ)
小川裕夫(おがわ ひろお)
1977年、静岡市生まれ。行政誌編集者を経て、フリーランスライター。著書に『踏切天国』(秀和システム)など多数。