search
とじる
トップ > 芸能ネタ > プロフェッショナル巧の格言 山田廣作(音楽プロデューサー) 「歌はメッセージだ」イジメ撲滅の思いを音楽に乗せて(2)

プロフェッショナル巧の格言 山田廣作(音楽プロデューサー) 「歌はメッセージだ」イジメ撲滅の思いを音楽に乗せて(2)

 飯干氏の一言がきっかけで、山田は'73年に『歌まね合戦スターに挑戦!!』(日本テレビ)を誕生させた。
 「司会は西川きよしさんと横山やすしさん。横山さんは、破天荒な性格でしたからね。トラブルを起こしたともありましたが、“スタチョン”は10年以上続きました」

 その間、山田は出演した歌手のマネジャーたちと“ボンビー(=貧乏)会”を作ったという。
 「ほとんどの人が引退してしまいましたが、野口五郎や内藤やす子のマネジャーらもメンバーでした。当時は金がありませんでしたが、“ボンビー会”でよく遊びました。みんな純粋であのころが一番楽しかった」

 その一方で、山田は番組で輩出した男性アイドルグループ『アンデルセン』をデビューさせるために芸能プロ『ABCプロモーション』を設立した。
 「ところが、売れた途端にメンバーの一人が結核になってしまいグループを解散したんです。そんなときでした。ジョニー野村とハリウッドのキャスティングプロデューサーを務める奈良橋陽子さんから『ゴダイゴをプロデュースしてくれないか』という依頼があって引き受けたんです」
 ゴダイゴは、『西遊記』(日本テレビ)の主題歌『ガンダーラ』('78年)が爆発的大ヒット。次にリリースした『モンキー・マジック』『ビューティフル・ネーム』もヒットし、ゴダイゴはオリコン年間セールス1位に輝いた。

 3年前に64歳で亡くなったロック歌手のジョー山中のレゲエのプロデュースも山田は買って出た。
 「ジョーさんが歌う映画『人間の証明』('77年)の主題歌がヒットした直後、彼はクスリに手を出して逮捕され音楽活動休止に追い込まれた。ジョーさんがプロボクサーだったこともあって、当時の金平ジムの金平正紀会長から『ジョーの面倒をみてくれないか』と紹介された。ジョーさんが『レゲエをやりたい』と熱望したんで、本場のジャマイカまで行かせたんです」

 筆者は山田からジョー山中を紹介され、自叙伝『証永遠のシャウト』を出版プロデュースした。彼の訃報を私に知らせくれたのも山田だった。
 「ジョーさんは亡くなる前に僕に電話をかけてきて、出ない声を振り絞って『もしもし』と3回繰り返した。死ぬ前にお礼が言いたかったんだと思います。まじめで礼儀正しい男でした」

 その後、山田は演歌歌手の大月みやこのプロデュースも依頼された。
 「『大阪ごころ』から3曲。それが『女の港』('83年)の大ヒットにつながった」

 島倉千代子を『人生いろいろ』('87年)で再起させたのも山田だった。
 「この曲はTBS系ドラマ『三どしま』の主題歌だった。ハマクラさんが作曲し、『歌まね合戦スターに挑戦』審査員をやって仲良くなった作詞・作曲家の中山大三郎さんに作詞を頼んだのです」

 中山氏が付けてきた歌のタイトルは『笑いばなしにして』だった。
 「歌詞の内容は酒で憂さを晴らす女だったが、お千代さんは酒を飲めない。勝手に詩を変えて、歌のタイトルも『人生いろいろ』にした。その中山さんも9年前に64歳の若さで亡くなった。善い人は、なんで早く逝ってしまうんでしょう」

芸能ネタ→

 

特集

関連ニュース

ピックアップ

新着ニュース→

もっと見る→

芸能ネタ→

もっと見る→

注目タグ