午後3時半頃まで家に留まっていたが、危険が身近に迫ったので、避難の方角を見定めると布団1枚を頭から被り表に飛び出した。まっすぐ深川の岩崎別邸を指して駆け出したが、堀割に架かる橋という橋は全て、避難民の持ち出した家財道具などの荷物で先へ進めない。
岩崎別邸は徳次が育った東大工町から目と鼻の先。生まれてから30年、東京本所や深川界隈で過ごしてきただけに土地勘はあったが、町並みが地震による倒壊のためにすっかり変わっていて、なかなか方向感覚がつかめない。
避難民の群れは後から後からやって来るが、前に行くことも後ろに引き返すこともできない。次の橋を探しても同様なのだ。
避難民の背後からは燃え盛る火が襲ってくる。走るよりも早く迫ってくるのだ。徳次は橋を渡ることが不可能と悟った。進退きわまってふと見ると、今、立っている前の堀割に巨木の丸太が一杯浮かべてある。
咄嗟(とっさ)に丸太から丸太へ跳び移り、ようやく向こう岸に上がった。それからやっと4つ、5つと堀割を越して、その後はやみくもに走った。
こうして岩崎別邸の手前、800メートルほどの所まで辿(たど)り着いた。しかし、ここでもう一歩も動けなくなった。
辺り一面、火の海なのだ。そこは300メートルほどで隅田川に合流するところ、小名木川に架かる高橋の袂(たもと)だった。
高橋は鉄骨の脚を持つ石造りの橋だ。徳次には普段よく通っているだけに馴染(なじみ)深い。緊急に避難するにはここがいいだろうと、鉄の橋脚に登った。少しほっとしたのも束の間、徳次が橋脚に登るのを見ていた群衆が、後から後から橋脚に登って来る。
あっという間に橋脚は避難民で鈴なりになった。徳次は中央辺りにいたが、他の人々から圧しつけられてしまった。