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愛知県西三河地方の伝説「歌にも詠まれていた蓮池」

 8世紀頃(奈良時代)、愛知県豊田市上郷地区辺りに末野・上野・緑野という野があった。これら三つの野を称して三つ野と呼んでいた。緑野の南には一つの池があり、その名を緑野の池といった。緑野の池は、大正時代末期まで蓮池と呼ばれ、池一面が蓮田であった。また、この池は様々な古歌にも残されている。

 『三河雑鈔』・緑野の池考では、「みどりの野の古くものに見えたるは、〜」とある。

 『夫木集』・二三の巻雑の五には、「ことしおひみかはの池のあやめ草 長きためしに人はひかなむ」という御厳子女王の歌が掲載され、同集同巻同部に康平4(1061)年3月、子内親王ノ家ノ名所歌合で詠まれた和泉式部の歌「春ふかくなり行くままにみどり野の 池の玉ももいろことにみゆ」が、同集に「春雨のふりそめしより緑野の いけの汀ふかくなりゆく」という小待従の歌が掲載されている。

 『松葉集』には「秋の目覚に当国の名所とした。されど先達説とりどりにて、其在り所いまだ詳でない。それはまず『三河国藻塩草』に緑野ノ池碧海郡粟寺村(桝塚東町)の地中にあり。俗に呼んで鷺草の池という」とある。

 また宝暦5(1755)年5月、庄屋安五郎の『粟寺日記』の中に「家下之下りて三町余りのところに大小二つに池あり。人呼んで緑が池という。矢作川に注ぐよどみして幅広く、水草茂りて四季の草花たえず、昔から歌詠み人の訪れ多し」と書かれてある。

 現在の緑野の池はその面影もなく、柳川公園の一部となり、休日には釣りを楽しむ人達の憩いの場となっている。

写真:「緑野の池」愛知県豊田市桝塚東町柳川瀬

(皆月斜 山口敏太郎事務所)

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