“平野バブル”は、今に始まったことではない。学生時代からモテ期が止まらないからだ。雑誌の取材ライターが教えてくれる。
「小学4年生の時にもらったバレンタインチョコの数は、64個! 学校にチョコを持ってきてはいけなかったので、実家の郵便ポストや玄関にズラリと並んだそうです。それをまとめて溶かして、大きな1枚にして、毎日少しずつ食べたといいます」
幼いころからダンスを習い、地元の芸能事務所・セントラルジャパンに所属。芸能界デビューは、メンズアイドルグループ・BOYS AND MENだった。脱退後、通っていたダンススクールのインストラクターが、かつて少年隊や光GENJIといったジャニーズタレントを振り付けていた縁で、故・ジャニー喜多川氏と出会い、スカウトされた。
小4からモテ人生を歩み、ジャニーさんの心もとらえた平野こそが、“シンデレラボーイ”だ。
キンプリが平野なら、キスマイ(Kis-My-Ft2)は玉森裕太だ。ソロでフレグランス・LAVONS LE LINGEのCMに連続起用されている玉森は、メンバーでいちばんグッズが売れることで知られる。
幼いころから、近所で有名なフェミニン系イケメン。中学校の卒業式では、第2ボタンにはじまり、学ランのボタン、Yシャツのボタン、両袖のボタン2個、襟元のバッジまで取られた。胸元がはだけた半露出の状態で歩いて帰ったという。
弱冠17歳で裕太を産んだ母としては、大きな自慢。母がジャニーズ事務所に履歴書を送っている。
同じく卒業式後、半裸状態で帰ったのはSexy Zone・中島健人だ。式後、中1から中3の女子が手紙を渡す列を作っていた。中島は30分にもわたって、神対応していたという。ボタンの争奪戦では、ブレザー、Yシャツまで献上しており、胸元をはだけたワイルドな様相で家路に着いた。
顔面偏差値お高め男子は、ジャニーズに入って当然か。
(伊藤由華)