執筆を一日中していると、急に誰かと話をしなくなったり、人ごみの中に身を寄せたくなったりします。そんな時、私は歌舞伎町に出かけて、夜な夜な飲み歩いてしまうものです。この日も、キャバクラでも行こうかな、と思っていたら、いつもと変わらない客引きの声かけがあり、「そんな声かけではキャバクラなんかいかないよ」と思いつつ、噴水広場でたたずんでいました。
そのとき、ふと10年前を思い出してしまったのです。
10年前、私はいつもこの場でたたずんでいた。まだ、フリーライターになりててて、発表の当てのない取材の日々が続いていたのです。私は、取材をすると、その人になりきってしまうことがあります。取材をした人の心情が自分の心に入ってきます。その人の人生を再体験するかのようでした。
そんな取材を繰り返していると、ふと、「何者でもない自分になりたい」こと思うとがありました。取材の相手は、私に対して話をしている。その相手にとって、「私」は、話をしたい、あるいは話をせざるを得ない人なのです。そして、私という「メディア」を通じて、何らかのことを伝えたいことを欲しているのです。そうした社会的な役割を担っているのです。
それは、フリーライターという職業とか、私が取材をしている分野の性格を考えると、宿命的なものがあります。しかし、歌舞伎町にいれば、自分が他人と変わらない多くの中のたった一人の自分ですが、誰からも特に必要とされない、あるいは要求されない自分を見つけ出すことができました。そんな自分を見つけるとき、ふと、肩の荷をおろすことができるのです。私にとって、10年前の歌舞伎町、特に噴水広場前はそんな場所でした。
しかし、この夜はなぜか違っていました。新宿にYAMADA電気が進出してきて、その風景が変わったせいではありません。コマ劇場が閉鎖し、その後も見通しがないことも多少は影響していますが、それだけではありません。やはり、最も大きいのは、新宿に匿名の人たちが減ったせいではないか、と感じたのです。
匿名の人たち。10年前、噴水風呂前は、路上ミュージシャンやカメラマン、占い師、ナンパ師、ホームレス、そして酒飲みが夜な夜な集まっていた場所だったのです。そこに行けば、名前や出自、現在の職業さえ分からないけど、顔見知りがいたものです。彼ら彼女らと話をすることで、癒されていたものです。特にお金がなくても、そこにいれば、朝まで過ごすことができました。いろんな愚痴を言ったり、夢を語ったりしたものです。
しかし、同じ場所でありながら、そこはもう、すでに癒しの場所ではなくなってしまっていました。10年前からずっと残っているのは、ホストやキャバクラのキャッチくらいなものです。歌舞伎町は様変わりしてしまったのだ、と考えてしまったわけです。同時に、時間の流れも感じてしまいました。
私はいったい何が変わったのでしょうか。何も考えずに10年が過ぎてしまったようにも思います。あの頃抱えていた不安が解消されたわけでもなければ、夢が実現したわけでもない。とは言っても、その10年でいろんな人と出会ったことはたしかです。経験もしました。そのほとんどが歌舞伎町を中心としたものだったようにお思います。
<プロフィール>
渋井哲也(しぶい てつや)フリーライター。ノンフィクション作家。栃木県生まれ。若者の生きづらさ(自殺、自傷、依存など)をテーマに取材するほか、ケータイ・ネット利用、教育、サブカルチャー、性、風俗、キャバクラなどに関心を持つ。近刊に「実録・闇サイト事件簿」(幻冬舎新書)や「解決!学校クレーム “理不尽”保護者の実態と対応実践」(河出書房新社)。他に、「明日、自殺しませんか 男女7人ネット心中」(幻冬舎文庫)、「ウェブ恋愛」(ちくま新書)、「学校裏サイト」(晋遊舎新書)など。
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