「実績のあるベテラン選手が、シーズン途中に今季限りでの引退を表明するケースはありませんが…」(在阪メディア陣の1人)
長田は千葉県・東海大望洋高から03年にドラフト4巡目で巨人に入団。06年オフ、谷佳知外野手と2対1の交換トレードで移籍したが、07年を最後に1軍での出場機会はない。
「俊足で、打撃センスも二重丸でした。当時はメジャー球団も視察に訪れたほどで、本人が『どうしても巨人に行きたい』と言って譲らないので、他球団は指名を見送ったんです」(同)
関係者によれば、長田は8月中旬に去就に関する相談を球団側に持ち掛けていたそうだ。理由は「体力、精神力の限界」とのことで、その申し出を受け入れた。
「トレードが成立した当時、原辰徳監督が20代前半で伸び盛りだった彼を放出したことで、一部OBからのバッシングを受けました」(球界関係者)
巨人時代、長田は“伝説”を残していた。新人のころ、トレーナーに自分の荷物運びをさせ、先輩選手を驚かせたという。ベンチに常備されるドリンクボックスの氷に足を入れ、勝手に寛いでいたこともあったそうだ。
しかし、ボランティアにも熱心な一面もあった。今年2月25日に話は逆上るが、長田は前年12月にキューバなどを訪れ、現地の野球少年たちが道具にも困っているさまを目の当たりにしたという。「使っていない野球用具を寄付してほしい」と呼び掛け、キャンプ地・宮古島でも協力会の発足をお願いしていた。巨人時代は人間関係で失敗したようだが、今日の成長した彼のことを悪く言う者は1人もいない。
「むしろ、オリックスが長田を引き止めなかったことで、『何かあったのではないか?』と勘繰られています。憶測にすぎませんが、野球以外のことでも悩んでいたのではないか」(前出・在阪メディア陣の1人)
繰り返すになるが、長田は大きな故障を抱えていたわけではない。プロ野球解説者の1人が「一般論」と前置きし、こう言う。
「長田という選手が戦力として将来有望なら、球団も引き止めたはず。巨人時代から称賛されていた素質を開花できなかったのは残念だけど、彼のように本領を発揮できずに引退した選手には2通りがあります。選手に対する球団(スカウト)の評価が間違っていたか、性格的にプロ向きではなかったということです」
いずれにせよ、超高校級内野手と称された長田がプロでその素質を開花できなかったことにより、各球団のスカウトマンは「高校生野手の評価を慎重にやり直さないと…」と言い始めた。彼を育てられなかった巨人、オリックスの野球環境にも問題はないわけではないが、学生指導者からも「高校生野手に対するプロ側の育成について、もう1度話を聞いてみたい」なる声も聞かれるようになった。練習試合などで長田の才能を目の当たりにした高校監督も多いだけに、今回の突然の引退に驚きを隠せない。送り出す側にすれば、「長田クラスの選手がプロで通用しないのなら…」と、より慎重になるのも当然だろう。今秋のドラフト会議にも、それなりの影響を与えそうだ。