稲毛神社は、第12代景行天皇が東国御幸の際に賊難を避けたと伝えられています。鎌倉、室町時代の資料にも記録が残されています。由緒のたいへん古い神社です。
稲毛神社境内に、推定樹齢1000年のイチョウがあります。「山王様の大銀杏」として、東海道を旅する者に知られてきました。イチョウの周囲を回ると願い事がかなうと、信仰を集めています。
稲毛神社を訪れたのは、クリスマスが終わった年の瀬でした。社務所では巫女の方とすれ違いました。「年越の大祓(おおはらえ)」の時期で、稲毛神社の鳥居にも「茅の輪(ちのわ)」がかかっています。人々は、輪を潜りながら、左、右、左と、鳥居の柱を周り、社殿へ向かっていました。
話を聞くと、イチョウは戦災で焼けてしまったそうです。しかし、年月が流れると新たな幹を伸ばし始めました。生命の象徴、平和の象徴として、さらに崇められ、「十二支講」が結成されました。現在、イチョウの周りには、十二支の像が建てられています。人々は、自分の生まれた年の像を通して、御神木に心願成就を祈っています。
稲毛神社には多くの神社が合祀されています。また、碑文もあります。
松尾芭蕉の句碑には、「野ざらし紀行」から、六郷川(多摩川)を渡り河崎の宿に足を踏み入れた芭蕉が、江戸を振り返り詠んだ句が刻まれています。
正岡子規没後百年記念句碑には、「六郷の/橋まで来たり/春の風」「多摩川を/汽車で通るや/梨の花」など、正岡子規の句が紹介されています。碑文は「短い生涯の最後の血の一滴まで、文芸革新の道を追求した子規の情熱に敬意を表し、ここに句碑を建立する」と結ばれています。
また、イチョウの根もとにある祠(ほこら)は、竜神をまつっているとも、樹霊をまつっているとも言われています。(竹内みちまろ)